母への思いと母の思い | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今年の母の日は5月11日。

「父の日」と「母の日」は、国によって日付けが違う。日本、アメリカは「父の日」は6月第3日曜日。そして「母の日」は5月第2日曜日。イタリアは「父の日」は、イエス・キリストの養父・聖ヨセフの祝日、3月19日が「父の日」であるが、「母の日」は日本やアメリカと一緒の5月第2日曜。

また「母の日」まで一週間あるが、由来なんぞを調べてみた。19世紀のアメリカで、ある少女が亡き母を偲び、教会学校で教えていた母が好きだった白いカーネーションを教会での記念会に贈ったのが始まりなんだそうだが、小学生の頃、あれは造花だったのか生花だったのか記憶にないのだが、母へのプレゼントとして、赤いカーネーションを学校を通じて購入した(させられた?)記憶がある。それでも、たまに白いカーネーションを持っている人を見かけると、見てはいけないものを見てしまったような、罪悪感というか?寂しさを感じた思い出がある。あれは、今思うと、酷な学校イベントだったのではないだろうか?

日頃の母の苦労を労わり、母への感謝を表す日だと学んだ気もするが、両親、特に母への思いは、自分が大人になって、親元から離れ、しかも自分も子供を育てて初めてわかるものがある。

先日、ある書類を捜していたら、10年ほど前に私の誕生日の際、長女からの手紙が出てきた。「ママすきだよ。」涙が出た。

 一時期髪に赤くハイライトを入れていたことがある。

今でこそ、一言話すたび,喧嘩になる。「ママは、私のことわかっちゃくれない。」冷静に話そうとしても、常に行き違い。30年前の私の、しかも日本の高校生の常識と、今イタリアで暮らしている現役高校生の彼女との常識が違うのは当たり前。でも、自分の言動に責任を持とうよ。プライドを持とうよ。いいたいのは、それだけなのだけれど、感情的になってしまうと、余計なことばかり言ってしまう。

言っても、言われても、胸が痛む。子育ては一回勝負の練習なし。気付くまで待たなしゃ~ないんかいな・・・子供が3人いても3人3様。皆 同じようには、育たない。ため息ばかり・・・。

母と子、特に母と娘の確執の話もよく聞く。意外に回りに多いのが、思春期の女性の拒食症。過度な母親の干渉が原因になることもあるそうだ。特に一卵性母娘の場合、家庭のことはすべて妻にまかせきり!という夫との関係もあるようで、一瞬夫、父親(ほぼ)不在の我が家、危険!!と思ったが、まあ拒食症に関しては、長女は問題なさそうだが、それでも精神的葛藤の原因のひとつでもあるだろうな・・・とは思う。

家庭問題は、熱くなりやすい。自分を抑えきれず、感情的になってしまう。心が小さいんだね。小さい心のわりに、沸騰した感情は、外にこぼれ、しばらくすると、すぐに冷める。けれど、熱い状態だと互いに火傷してしまうんだな。

『育児』は『育自』だというが、まさにそう。自分を向上させる。幸せになる能力を向上させるためにも、寛容さ、そして努力は必要。人生は、まさに修行の場だと思う。

子育てでつまずきつつ、改めて母に感謝。