聖週間 ~ 聖金曜日・受難 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



聖金曜日。 
朝から、メル・ギブソン主演・監督の映画「パッション」を見た。 
毎年、聖週間に見続け、Sか?Mか?と思われるかもしれないが、教会では、イエスが受けた受難を思い起こすことで、キリストの救いの恵みに与るようにと招いている。 

ところで、古代エルサレムでは、聖木曜日の夜はオリーブ山に集まって祈り明かした人が多かったという。皆は、明け方になってから町に帰り、ゴルゴダの丘の上に建てられた十字架堂に集まって、受難の朗読をピラトの尋問のところまで聞き、その後、昼間で十字架の遺物の崇敬を行った。正午から3字までは、その日に適した聖書の朗読に耳を傾け、さらに、疲れを知らない元気な人はその夜も復活堂に集まり、主の復活に希望をもって祈ったといわれている。 

聖金曜日は、そういった習慣から発展したものだが、単にキリストの受難と死を時間的な順を追って再現するのではなく、人類の歴史全体におけるキリストの受難と死の意味を思い起こし、復活への希望をもって十字架の勝利を賛美するものとなっている。 

話は変わるが、「パッション」といえば、四旬節に入る直前に近所のパロッキアにて講演会があるというので、出かけてきた。上記映画「パッション」で、イエスが身代わりとなって十字架での磔刑となったわけだが、その人殺しの「バラバ」役の俳優、ピエトロ・サルッビの信仰の証の話だった。 

彼は、61年生まれ、ミラノ出身の俳優。彼の生い立ちから、俳優を通じての、彼の人生を面白おかしく語られていたが、人を笑わせることに長けており、喜劇役者にも見えるし、あくどそうな雰囲気もたっぷりあった。彼は子供のころから、よく言えば、「やんちゃ」、悪く言えば、「問題児」だったそうだ。カトリックの厳しい学校へ行っても、教室の窓から机だか椅子を理由なく投げ捨ててみたり、役者になっても、酒と女性におぼれる日々だったという。 

2001,2年あたりにメル・ギブソンに声をかけられ、渡米。映画「パッション」の仕事にとりかかったという。彼の本名は「ピエトロ」。イエスの第1弟子の名前だ。当時のユダヤ人が話したというアラマイ語を学び、たった10分足らずの出演のところに、数ヶ月も時間をかけ、その部分の撮影だけでもまるまる2週間時間がかけられたのだそうだ。その後、彼は生まれ変わったという。 

「この人こそ恵み。」 
映画を通じ、イエス・キリストとの出会いは、彼を大きく変えた。 
まさに「出会いは恵み」である。 
彼は、呼ばれれば、どこへでも行き、自分の体験を話しているそうだ。 

それにしても、十字架の道行き<ヴィア・クルーチス>の場面は、痛快の念をもって自然と黙想せざる得ないような気持ちになる。 

いくつもの祈りがある中、個人的に好きなのは、フランス人の聖職者、ミシェル・クオスト神父による「十字架の道行き」の祈りが好き。 

十一留は、自分が罪びとであることを意識せざるを得ない。 

主よ あなたは 十字架いっぱいに手足をひきのばされました 
きっちりと 十字架いっぱいに 
主よ わたしも 
十字架いっぱいに わたしの手足をのばさなければなりません 
それに 私がその上で苦しむ材木を 
自分で選ぶことはできません 
わたしの十字架は わたしにあわせて もうできているのです 


今日の聖金曜日はミサは行わないが、イエス・キリストが亡くなられたといわれる午後の3時から祭儀が始まる。共同祈願のあとに、十字架の顕示と礼拝が行われる。イタリア人は十字架上のイエス像の傷にキスをするが、どうしてもそれは躊躇してしまい、手で触れるだけ。さすが、それはまだまだ日本人か?! 

夜も「十字架の道行き」として地域を祈って回る儀式があるが、今日はTVを見ながら、パパ様のコロッセオでの「十字架の道行き」と共に祈ることにしよう。 



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