今朝次男が、「今日は父の日だよね。」といっていたので、なんで日曜日でもないし、しかも3月なのに・・・?!と思っていたら、そ~か~、今日3月19日は聖ヨセフ、イタリア語ではS.Giuseppe(サン・ジュセッペ)の祝日なんだわ、と思い出した。ヨセフは、イエス・キリストの父。だから「父の日」。ちなみに聖ヨセフは教会の保護者でもある。
今日、この日に、ローマ典礼であると、マタイ1:16,18-21またはルカ2:41-49、またアンブロジアーノ典礼では、マタイ2:19-23またはルカ2:41-49が朗読される。でも個人的にしっくりくるのは、下記のマタイ1:1.-6,18-21だろうか。
ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。
このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。
母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。」
ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり(にした。)
(マタイ1:16, 18-21,24)
ヨセフの畏れ、葛藤、悩みそして正しい人の姿が想像できる。
聖ヨセフの祝日が教会で祝われるようになったのは、10世紀の西方教会においてだという。今朝のヴァチカンでの一般謁見では、パパ様は、親である父親も聖職者も子供の教育者であり、子供の保護者である、とおっしゃった。
イタリア語と日本語の聖書を見比べると、訳が微妙に違うので、解釈に戸惑うが、“in età, sapienza e grazia” 「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」ということをパパ様は強調された。また、lasciando crescere ma vicini という言葉が印象的だった。「手はかけないが(近くで)目はかける」ということだろう。
広場に集まった6万人の人々に、「この中に父親の方は手を上げてください!」と声をかけられ、また、父親のいる方、すでに亡くされたり、不在の方々にも父親を思い起こし、感謝しようと言われた。
Tanti auguri a papà!!
http://
http://
http://
