1時間15分x3日。
丸一日かけて行われる黙想会とは違って、なんとか時間をつくり駆けつける、しかも夜の霊的修行の場。
個人的経験にも言えることだが、年齢的に、小さな子持ちの方はさすがに出席が難しい。かといって、ある一定以上の年齢の方は、夜の黙想は厳しいものがある。私も3日とはいえ、帰宅後はかなり心というか、頭が疲れきってしまい、かといってすぐには眠れない日々だった。
テーマは、「I dolori di Maria」。マリアの痛み。悲しみ。苦悩。
「恵まれた女よ。おめでとう。主があなたと共におられます。」天使のお告げを戸惑いながらも 受け止めたマリア。けれど、マリアの生涯は、精神的にも、肉体的にも艱難、苦労が絶えず、悲しみの連続であったことだろう。
今回はじめて、ゴッホの「ピエタ」のコピーを見た。
彼の作品の中では、宗教画は少ないという。オランダのゴッホ美術館もアルルの彼がいた精神病院跡地もいっているが、この絵のことは、まったく知らなかった。
ロマン主義の巨匠・ドラクロワによる「ピエタ」の模写作品なのだそうだが、精神病で入院していた時の作品だと言う。
宗教的側面というよりも、個人的解釈を強く表現しているようにも思われ、赤毛のキリストはゴッホ自身?聖母マリアの受難はイエス・キリストの受難に通じるわけだが、この数年後自殺してしまうゴッホの苦しみは、聖母マリアの苦しみと共にあるということなのだろうか?
こちらは、ベアト・アンジェリコの「十字架降下」。
彼のサンマルコ美術館にある、もうひとつの「十字架降下」よりも上記の方が好き。
十字架からおろされ、やっと現世の苦しみから解放されたイエスの穏やかな姿。そして、見守る人たちの深い悲しみの中にも、暗い影ではなく、慰めを得られたオーロラに包まれたような優しさを感じるのは、私だけだろうか。
マリアは、自分の人生を通じ、イエスの人生を思い起こしたに違いない。悲しみの聖母マリアは、イエスと共にそのみ心において、死の苦しみをお受けになった。聖母に執り成しの祈りをするのが、やっとわかったような気がする。
元后、あわれみの母、われらのいのち、喜び、希望。
旅路からあなたに叫ぶエバの子、
嘆きながら、泣きながらも、涙の谷にあなたを慕う。
われらのために執り成す方、
あわれみの目をわれらに注ぎ、尊いあなたの子イエスを、
旅路の果てに示してください。
おお、いつくしみ、恵みあふれる、喜びのおとめマリア。