心筋梗塞で倒れ、家族を集めてください、と担当医にいわれ、次男だけを連れて帰国。入院中に誕生日を迎え73歳になった。
あれから、4年。
足腰が痛いといって、車もやめたし、病院以外は外出しなくなったようだ。それはそれで、心配だけれど、それでも、生きていてくれるって私の希望。そうしょっちゅうは会いにいけないけれど、生きていてくれるってそれだけでも安心なのだ。
いつからか父は自分のことを「おじいちゃん」というようになった。
メールでも「おじいちゃんです。」と書いてくる。
私たちの帰国が間じかになると、楽しみにしてくれているようだが、いざ帰国すると、うるさくて、生活リズムも狂うのだろう。何度も怒鳴られる。それでも、私たちが発ってしまうと、ほっとしつつもさびしいんだろうな・・・。
ところで、今週の月曜日,ヴェネト州のトレヴィーゾで、36歳の息子が65歳の母親と喧嘩をし、かっとなりアパートの8階(日本の9階)から投げ捨てるという事件が起きた。数年前に母親は未亡人となり、娘は自殺未遂、もう一人の息子は何らかの理由で亡くなっており、精神的にも不安定な親子だったのかもしれないが、なんともいえない事件だ。
子供がいくつになっても親は親。
大きな愛だ。
以前書いたことがあるのだが、一人の人間が生まれるためには、両親が必要である。その両親が生まれるためには、それぞれの両親四人が必要で・・・そのようにたどっていくと、十代さかのぼるならば1024人の親が必要になるという。二十代さかのぼるならば100万人以上の親が必要。そのなかのたった一人の親が欠けても、『私』は存在しない。
私達の命は奇跡なわけ。
奇跡である命を大切にし、親に感謝しよう。
お父さん、おめでとう。
http://
http://