失言・暴言にちょっと待った! | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今始まった事ではないが、最近政治家やある立場にある方々の失言があまりにもよく目立つ。 

失言・・・その人間の立場、ポジションに限らず、一度口から出た言葉は二度と取り戻せないことを覚悟しない限り、話してはいけないのではないだろうか?もちろん、書くことも然り。 

暴力は、力によるものだけではなく、言葉によるものもある。言葉で人を傷つけることは、肉体を傷つけるのと同じこと。人は温かい言葉によって強められ、自信を深めていくように、その逆は、その人を押しつぶす。また、自慢ばかりする人もいるが、対人関係において摩擦の原因となることだろう。 

つまり、言葉は生活の、社会で生きていくための『潤滑油』。 自分の意見や考えが相手と違っていても、尊敬をもって接することが大切だし、相手の存在すべてをひっくるめて受け入れてあげることが大切なんじゃないだろうか? 

最近、Itamaで運営にかかわりだしたが、常に重箱をつつくように、すべてを批判する人がいる。また、言葉の端々がきつい。何か言われるたびに、運営委員は目を合わせ、何でもなかったようなそぶりを示すだけ。批判することは簡単だけれど、組織をまとめていくことは非常に大変なんだよな・・・やってみる?といいたくなる。 

壁に投げたボールのように、人を裁けば、いつかは自分も裁かれるときが来ることだろう。 

デリカシーのない言葉、言葉に鈍感といわれるが、実際には、自分に言われ たり、されたりすることには、敏感で、他人には鈍感な人があまりにも多いのではないだろうか?自分の靴が汚れているのに、他人の靴の汚ればかり気にしているように・・・。 


http://www.huffingtonpost.jp/hiroaki-mizushima/mori-asada-mao-nhk_b_4835177.html