彼の言葉に
「友情というのは、こっちから向こうへ一方的に与えるもので、向こうから得られる何かではない。友情とは、自分の相手に対する気持ちだ。」
とある。
まっしいて言えば、何を与えるかというよりは、どういう気持ちで与えるかと言うことの方が大切かもしれない。
幼稚園や小学校へ入園、入学する際は、友達100人できるかな?なんて言えるけれど、さすがにいい大人になると友達100人どころか、本当に仲のいい、友達と呼べる友達なんてその10分の1にも満たないかもしれない。
特に女性は、仕事、結婚、子育て・・・なんてことが重なると、人によっては、全く身動き取れない人もいるわけで、思うようにはなかなか会えない。小さなミラノにいても、1年に1,2回しか会えない友人もいるわけで・・・。
ふと、思い出して連絡を取り合うと、なぜかお互い具合の悪いときばかり・・・という友人もいる。でも滅入っている時の、友人の言葉は癒される。とはいえ、相手が具合が悪いとなると、電話はかけづらい。寝ているところを起こしちゃうと悪いな・・・と思い、メールや携帯メールを送る。
入院している友人に対しても、お見舞いにいっていいのやら躊躇してしまうことがある。もしかしたら、迷惑かな?人に見られたくないかな?誰にも知られなくないかな?余計な事を考えすぎてしまう。
私は淋しがりやなの。本当に誰にも会えないときは、断るけれど、やっぱり誰かと一緒にいたい、と体調不調の友人に言われた。そうなんだね。人によってさまざま、それを汲んであげないといけない。
お見舞いに行き、または電話で話し、励ますつもりが、逆に励まされて涙ぐんでしまうようなこともしばしば。
イタリア語で、好きな言葉は
Ti voglio bene
volere bene a だれそれ、で <人>を好きになる、愛するという意味だが、恋人同士、または新婚ほやほやの夫婦だけの心情とも微妙に違う。爆 相手を好ましく思い、そして大事に思う心。略してTVB.素敵だと思う。
♪寂しいときは、あと少しつきあって
うまく話をきいてくれないか
君の声だけが 心を軽くする
ただ相槌をうってくれるだけで
君がいないと僕は本当に困る
つまりそういうことだ きみは僕の友達
http://
そういえば、哲学者アリストテレスも「人生で一番大切なものは、友情である。」と言っていた。