パパ様 ツィッター ~ 12月 その② | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

  

12月12日 
Non si può pensare a una Chiesa senza gioia. La gioia della Chiesa è questa: annunciare a tutti il nome di Gesù 喜びのない教会など考えられません。教会の喜びは、イエスの名を全ての人に知らせることです。 


12月13日
 
Non temere di accostarti alla Confessione: in questo Sacramento incontri Gesù che ti perdona.  許しの秘蹟にあずかることを恐れてはいけません。この秘蹟において、あなたをゆるすイエスに出会うことができます。 


12月14日 
Ecco la speranza cristiana: il futuro è nelle mani di Dio. 
『未来は神の御手にあります。』これが、キリスト教信者の希望です。 


12月16日 
Non ci rassegniamo a pensare a un Medio Oriente senza i cristiani. Preghiamo ogni giorno per la pace.キリスト教信者なしの、中東をあきらめてはいけません。毎日、平和のために祈りましょう。 


12月17日 
L’amore di Dio non è generico. Dio posa il suo sguardo d’amore su ogni uomo e ogni donna, con nome e cognome. 神の愛はあいまいなものではありません。神は、男性、女性全ての人々の名前を呼ぶとともに、愛のまなざしをおきます。 


12月19日 
Preghiamo che Dio ci conceda la grazia di vedere un mondo in cui mai nessuno debba morire di fame.飢えで死ぬことなど決してない世界を見る恵みを神に願いましょう。 


12月20日 
Cerchiamo di vivere il Natale in maniera coerente col Vangelo, accogliendo Gesù al centro della nostra vita. 私たちの生活の中心にイエスを迎えいれ、福音にそったやり方でクリスマスを過ごしましょう。 


PapaFrancesco ‎‎‎‎‎‎‎‎‎‏@Pontifex_it 


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日々の生活の中で、気づくと無心でいるか、逆に先の心配ばかりしている。 

以前、子供に対してある神父様がこういわれた。 

Cerca di essere contento!  イタリア語的には『喜んでいなさい』だろうか? 満足し、喜ぶこと。 

今の時代、『喜び』よりも、むしろ『楽しみ』を求めている時代ではないだろうか?楽しみが自分中心のものであるのに対し、喜びは自分の外に輝き、他者とも分かち合えるもの。 

ゲームも、旅行も、ショッピングも『楽しみ』の対象であって、それが自分にとって「喜び」となるためには、そこから生じる満足、快感が、他の人々をも豊かにすることが必要なのではないだろうか。 

喜びは、楽しみと比べて静かなものといえるかもしれない。自分の心の中で、パン種のように静かに、音もなく大きくふくらみ、やがておいしいパンとなって、周囲の人の心も体も満たす喜びを持って生きたいもの。 

クリスマスは、そうやって周囲の人の心も体も温まり、喜びで満たされるものでありたいもの。 

あなたは、喜んでいますか?