
9月6日
Una catena di impegno per la pace unisca tutti gli uomini e le donne di buona volontà! #prayforpeace 平和のための責任ある絆は、善意の人々すべてを一つに結び付けます。
9月7日
Pregate per la pace! 平和のために祈ってください。
9月9日
Non possiamo mai perdere la speranza. Dio ci inonda con la sua grazia, se la chiediamo con perseveranza 決して希望を失ってはいけません。願い続ければ、神は恵みで満たしてくださいます。
Chiedo d’intraprendere con coraggio e con decisione la via dell’incontro e del negoziato #prayforpeace 勇気を持って、出会いと交渉の道をもって解決するよう進めてください。平和のために祈りましょう。
9月10日
Vorrei ringraziare tutti coloro che hanno aderito alla veglia di preghiera e al digiuno per la pace #prayforpeace 平和のための夕べの祈りと断食に参加してくださった皆様方に感謝いたします。
9月11日
L’unica guerra che tutti dobbiamo combattere è quella contro il male 私達が戦わなければならない唯一の戦争は、悪に対するものです。
9月12日
Seguire Gesù significa condividere il suo amore misericordioso per ogni essere umano #prayforpeace イエスに従うということは、すべての人に、彼の慈しみ深い愛を分かち合うことです。平和のために祈りましょう。
9月13日
Gesù è il sole, Maria è l’aurora che preannuncia il suo sorgere イエスは太陽であり、マリアは、その日の出を告げるあけぼのです。
9月14日
A volte si può vivere senza conoscere i vicini di casa: questo non è vivere da cristiani. 時に、隣人のことを知らずに生活することも可能です。これは、キリスト者の生き方ではありません。
Papa Francesco@Pontifex_it
先日9月7日、ヴァチカン・サン・ピエトロ広場において「 シリアと中東と全世界の平和のための断食と祈りの日」が行われ、10万人の人が集まり,平和を祈った。私も地元の「平和の祈り」に出かけてきたが、参列者は、小さなお御堂に入りきれないほどの人がいたが、ほとんどがお年寄りばかりだった。もっと若い人に立ち上がって欲しかったのだが。
話は基, パパ様はこう言われた。
「これが私たちの望む世界なのでしょうか?私たちが本当に望む、自分自身の中に、隣人との関係に、家庭に、街中に、国々のあいだに調和と平和が実現した世界なのでしょうか?真の自由とは、愛に導かれ、すべての人を幸せに導く道を選ぶことではないのでしょうか?」
口で言うのは、簡単だが、まずは家庭から。そして、ご近所さん、職場、学校、いろいろな仲間とよく知り合うことで、理解しあう。これが大切。
「人間が自分のこと、自分の利益のことだけを考え、自分を世界の中心に置くとき、支配や力という偶像の虜であることに甘んじるとき、自分を神の位置に置くとき、すべての関係は破壊され、すべてがだめになります。そして、暴力や無関心、紛争の扉が開かれるのです。」
「私たちは武器を完成させ、良心を眠らせました。私たちは、自分を正当化する理由を磨き上げたのです。私たちは、まるで当たり前のことであるかのように破壊、痛み、死をまき散らしています。暴力と戦争がもたらすのは死だけです。暴力と戦争は、死の言葉なのです。」
おっしゃる通りです。・・・としか言いようがない。
身近な人間関係の中で,やたら人に腹を立てることがある。もしかしたら、それはその人に自分の姿を見ているとは、考えたことがあるだろうか?自分自身がまだまだ未熟でありながら、自分のことを棚にあげ、周りの欠点ばかり気になるのだ。まさか、それが自分の欠点とは思いもせずに。
「すべての人が自分の良心の深みを見つめ、そこから響く声に耳を傾けますように。私たちの心を頑なにする利己心を捨て去り、私たちの心を他者に対して鈍感にする無関心を克服し、自己正当化を止め、対話と和解に向かって心を開きましょう。」
『耳』偏の「聴く」はHearの「聞く」とはちがい、Listenの注意をしてきく、身をいれてきくという意味なのだそうだ。心から聴く耳をもちたいもの。
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