福者ヨハネ・パウロ2世の生家は大聖堂のすぐ裏手にあり、内部は博物館になっている。
記念館入り口には、どこの修道会かわからなかったが、シスターがおり、入場券は、ポーランド国民(3PLN・ズロチ=90円)とそれ以外(5PLN=150円)で値段がわかれており、職業が「教師」の方もポーランド国民と同じ代金だといわれた。

←山登りには、サイズまではわからなかったが、うっすらSupergaのブランド名が・・・。
とにかく、福者ヨハネ・パウロ2世の生活範囲は狭かったようだ。笑

生家、大聖堂、小学校、ケーキ屋がすべて大聖堂前広場から半径100メートルの範囲に収まっている。移動がいらないのはツーリストには非常に便利だが(!)驚きの行動範囲の狭さ。ちなみに、こちらが福者ヨハネ・パウロ2世の好んだといわれるクレムフカ。
注文してから、「あっ俺、甘いの苦手だったんだ・・・」と言い出した夫。え~いくらなんでも私、2つは食べられないよ~。といいつつ、1個半完食。パイ生地は非常に軽く,クリームもバタークリームのようだったが,胸焼けどころか,非常に軽くてびっくり。大量に持ち帰るツーリストも沢山見かけたくらい。
さて、こちらは大聖堂の中。


中央祭壇と1999年に凱旋にいらした際、祈られた入り口は行ってすぐの十字架像。
ミサが始まってしまうと、その間は中に入れさせてもらえず、外にあふれる信者で一杯。ミサとミサの間でも内部にある幾つかの礼拝堂までが、どこも祈る信者で一杯だった。
ところで福者ヨハネ・パウロ2世は8歳で母親を亡くしている。当時のヴォイティワ少年は、毎日母の病気が治るよう祈りに来ていたという。画像は撮れなかったが、その祭壇にあるマドンナ像の壁の脇には,ロザリオが沢山飾り付けられていた。祈りを捧げた方たちが置いていったものだろう。
福者ヨハネ・パウロ2世の葬儀には、ポーランドから50万人を超す人が、ヴァチカン・サン・ピエトロ広場に参列している。"Santo Subito!!"すぐに聖人に!!と呼びかけられ, 異例な速さで正式認定されたが、この「聖人」認定の儀式の日程は年内可能か?!くらいでまだ発表されていない。 きっとまた、民族の大移動間違いなしだろう。
来る9月7日には、教皇フランシスコが、「シリアと中東と全世界の平和のための断食と祈りの日」として呼びかけられているが、1981年の福者ヨハネ・パウロ2世の来日の際の、広島での「武器の支配するところに平和をもたらそうではないか」という呼びかけを思い出す。
また、9・11のテロの後で暴力の連鎖を断ち切るよう「正義なしには平和もあり得ないが、ゆるし合いの伴わない正義感もまた偽りである」と呼びかけられた。
平和を祈らずにいられない。
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