週末の超強行ポーランド旅行 ~ その4 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

街の見所は、なんといっても大聖堂と福者ヨハネ・パウロ二世の生家。 
福者ヨハネ・パウロ2世の生家は大聖堂のすぐ裏手にあり、内部は博物館になっている。 


  記念館入り口には、どこの修道会かわからなかったが、シスターがおり、入場券は、ポーランド国民(3PLN・ズロチ=90円)とそれ以外(5PLN=150円)で値段がわかれており、職業が「教師」の方もポーランド国民と同じ代金だといわれた。 

内部には、幼少時代に使用していたベビーベッド、教会による洗礼証明書、大司教や枢機卿時代の洋服や靴など私用品までが、展示されていた。 


 

 ←山登りには、サイズまではわからなかったが、うっすらSupergaのブランド名が・・・。 

とにかく、福者ヨハネ・パウロ2世の生活範囲は狭かったようだ。笑 


生家、大聖堂、小学校、ケーキ屋がすべて大聖堂前広場から半径100メートルの範囲に収まっている。移動がいらないのはツーリストには非常に便利だが(!)驚きの行動範囲の狭さ。ちなみに、こちらが福者ヨハネ・パウロ2世の好んだといわれるクレムフカ。 注文してから、「あっ俺、甘いの苦手だったんだ・・・」と言い出した夫。え~いくらなんでも私、2つは食べられないよ~。といいつつ、1個半完食。パイ生地は非常に軽く,クリームもバタークリームのようだったが,胸焼けどころか,非常に軽くてびっくり。大量に持ち帰るツーリストも沢山見かけたくらい。 


さて、こちらは大聖堂の中。 


中央祭壇と1999年に凱旋にいらした際、祈られた入り口は行ってすぐの十字架像。 

ミサが始まってしまうと、その間は中に入れさせてもらえず、外にあふれる信者で一杯。ミサとミサの間でも内部にある幾つかの礼拝堂までが、どこも祈る信者で一杯だった。 

 ところで福者ヨハネ・パウロ2世は8歳で母親を亡くしている。当時のヴォイティワ少年は、毎日母の病気が治るよう祈りに来ていたという。画像は撮れなかったが、その祭壇にあるマドンナ像の壁の脇には,ロザリオが沢山飾り付けられていた。祈りを捧げた方たちが置いていったものだろう。 


福者ヨハネ・パウロ2世の葬儀には、ポーランドから50万人を超す人が、ヴァチカン・サン・ピエトロ広場に参列している。"Santo Subito!!"すぐに聖人に!!と呼びかけられ, 異例な速さで正式認定されたが、この「聖人」認定の儀式の日程は年内可能か?!くらいでまだ発表されていない。 きっとまた、民族の大移動間違いなしだろう。 

来る9月7日には、教皇フランシスコが、「シリアと中東と全世界の平和のための断食と祈りの日」として呼びかけられているが、1981年の福者ヨハネ・パウロ2世の来日の際の、広島での「武器の支配するところに平和をもたらそうではないか」という呼びかけを思い出す。 

また、9・11のテロの後で暴力の連鎖を断ち切るよう「正義なしには平和もあり得ないが、ゆるし合いの伴わない正義感もまた偽りである」と呼びかけられた。 

平和を祈らずにいられない。 


http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/john_paul_ii/trip.htm 
http://www.pauline.or.jp/areopagus/areo_201108.php