こいのぼりから学ぶこと | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日5月5日は「端午の節句」「こどもの日」。
 

晩春の晴天の日に、こいのぼりがたなびくイメージがある。
こいのぼりは、登竜門の故事から来ているという。
「鯉の滝登り」といって、「竜門を登り切った鯉は竜になる」という話。語源となった「竜門」は中国黄河の上流にある急流のことで、「出世の糸口をつかむ」という意味にあたるのだが、急流を登りきる、「力強さ」、それは「生きる強さ」にも感じられる。

イタリアの学校では、中学生になってでも、子供の後ろについているよう(勉強をみているように、というイタリア語的言い方)にと学校側から促される。高校生になってでも、子供の宿題どころか、今日、何の勉強をして、何のテストがあったかもその日中にすべて把握している親の多さに驚かされる。逆にそれをしていないと、放任どころか、親の責任を投げ出しているようにさえ聞こえてくるから恐ろしい。

今の日本の教育状況は知らないが、私は、そんな風には育てられてこなかったし、そうでなくても、子供は育つと思うから、自己責任として任せているが、現地校小3の次男は、上の子たちには、そんなことはしてこなかったが、あまりにも、宿題を忘れたり、しっかりやっていないようなので、見ていてほしいと担任にいわれ、さすがに、宿題の有無とやったかどうかだけは、みているが、それもどうなのかな・・・と疑問になってしまう。

親は、いつまでも子供と一緒にいて保護してやることはできない。親の愛情というのは、子供が自立して生きていく力をつけてやることなんじゃないだろうか?いつまでも、親が横にいて、内容をチェックしていたら、子供は親に頼ってしまうんじゃないだろうか?子供の作文だって、親が横で、口出して、ましてや代わりに書いてあげようものなら、自分で書く力などつくはずないのだ。

これは、あくまでも普段の例にすぎないが、転ばせないように、平坦な道ばかり歩かせ、子供の前にある石さえをとってあげるというのは、どんなもんだろう。砂利道の草の根のある道を上手に歩く術を学ばせることこそ、親の役目なんじゃないかなあ。そして、ころんでも、倒れても、自分で起き上がることの大切さを知り、いつかは、倒れている他人に手を貸す優しさと強さも身に着けてほしい。

「生きる強さ」というのは、挫折、失敗の中でも希望を失うことなく、前向きに生きる力だと思う。

先日、カトリック教会の7つの秘跡の一つにあたる「堅信」(La Cresima)式がヴァチカンのサンピエトロ教会で執り行われた。堅信者と呼ばれるCresimandi44人および10万人の信者が集まったのだが、そのミサで教皇フランチェスコは、若者たちに「流れに逆らって生きることは、心のためになること」ととかれた。逆流を生きるには勇気がいるが、主がその勇気をくださると呼びかけられた。

生きていくためには、流れに乗ることも必要だろう。けれど、必ずしもいつもそうだとは限らない。そのためには、「力」が必要。そして教皇様がおっしゃるとおり「勇気」も要る。そして「愛情」も必要なんじゃないだろうか?この力と勇気は、金品で育つものでもなければ、過保護やスパルタ教育で育つものではない。子供に与えられている神様からの賜物、一人格としての自分の人生を切り開いて行く力を、温かく見守る大人の愛情を受けて育っていくのではないだろうか?

また、育てるのにも、力と勇気がいる。いつも子育てに悩むとき、霊的指導を受けているシスターから「Coraggio!」(勇気を出して!)と声をかけられていたことを、今思い出した。シスターを通して神様の声だったのかもしれない。大げさか?笑


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