仕える人・仕えられる人 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

「すまじきは宮仕え」ということわざがある。 
人に仕え、人に使われるということは、自由を束縛されたりいろいろと苦労が多いから、出来ればしないにこしたことはないということ。「宮仕え」古くは宮中や貴族の邸宅に仕えることで、転じて、役所や会社などの組織に勤める意味にもなる。 

確かに、理不尽な上司や、無能な上司がいたら、たまらない。私はイタリアに来る前に、7年ほど法律事務所の秘書として働いてきた。そこは、実に働きがいのある事務所だった。私の存在や仕事を認めてくださり、自己啓発には持ってこいの場所だった。お金をもらいつつ、学べるなんてありがたい!そんなところだった。生まれ変われるならば、今の夫と結婚していなくても、あの職場では、また働きたいくらい。笑 ちなみに、私の退職後、合併、分裂を繰り返し、当時の事務所のメンバーは存在しない。 

話はそれたが、教皇フランチェスコが就任されまだ間もないが、就任ミサでは、「弱者と環境を守ることが、死と破壊に勝利する方法である」「最も貧しく、弱き者を抱擁する」と、教会の役割として社会的弱者の救済と環境保護を強調された。また、アルゼンチンの大司教であった時は,公共機関を利用し、町を歩き、一般の民衆に触れ合ったという非常に庶民派な教皇である。 

私は仕えられるためではなく,仕えるために来た。(マルコ10:45)。本来仕えるられてしかるべき人が、仕える心を失わずにいることは、大切なこと。 

ところで、昨日教皇フランチェスコは、宿舎であるサンタ・マルタの家の従業員や、サン・ピエトロ広場の清掃を担当するヴァチカンの庭師たちと一緒に、ミサを捧げたという。あらゆる隔たりの壁を壊し、人と人との間に絆を結ぶ素晴らしい出来事だったようだ。 

また来週木曜日は、復活祭を目前にした「聖木曜日」。その日は、「聖香油のミサ」と「主の晩餐のミサ」の2つのミサ聖祭が行われる。 

「聖香油のミサ」は、各教区の司教座聖堂で司教と司祭が共同司式する。(ミラノではドウモで)この中で司祭の約束の更新と司教による聖油の祝別を聖ピエトロ大聖堂で行い、夜の「主の晩餐」ミサは、ローマのカサル・デル・マルモ少年院で執り行うという。 

 教皇フランチェスコは、ブエノス・アイレス時代、「主の晩餐」ミサを刑務所や病院、福祉事務所などで執り行うことを習慣にしていたという。 

・・・ご自分を銀貨30枚で売るつもりだったユダの足もあったし、ご自分を「知らない」と3度も否んだピエトロの足もあった。けれど、それも承知の上でイエス・キリストは弟子たちの足を洗い,布でお拭きになった。・・・愛と奉仕の模範。上に立つものは,仕えるものに、その模範を示さないといけない。 

「愛だよ愛!」by釜爺 

しもべに徹しきれない自我と傲慢さがあると、人に仕えることはできない。皆心のどこかに「偉い人」になりたい部分があるだろうから。そういう意味では、しもべとなることは「狭い門」なのかもしれない。身をかがめ、身を低くしなければ通れない門。 

実るほど頭を垂れる稲穂かな 

学生の頃、よ~く校長先生にいわれた言葉。人間はある程度生きる為の力がついてくると、周囲への感謝を忘れ、なんでも自分の力だと勘違いしがちになる。どんなに優れていて、成功している人でも、人の子である。両親だけでなく、誰かの小さな助けや親切、愛情の上に現在の自分が存在しているわけだから、そんなお世話になった方々の愛を感じ取る事のできる人は、年を重ねるごとに生きる姿勢も謙虚になっていくということだろう。(でも猫背には気をつけよう。笑 )

※写真は2008年3月20日、ベルゴリオ枢機卿(現教皇フランチェスコ)がブエノスアイレス郊外の薬物依存者更生施設で捧げた「主の晩餐ミサ」での「洗足式」。