教皇になられても、白衣のみで、十字架もシンプルなもの。また、ご自分で宿泊費用を払われ、今後も豪華な車には乗らない、護衛は半分に・・・など、質素な生活を好み、これまで特に貧困問題に取り組んで来たお姿がうかがわれる。また、その紋章銘「貧しきものは、神に選ばれている(Miserando atque eligendo)」は、とりわけ貧しい人々への留意を示している。
来る3月19日には、教皇就任式が挙行されるが、母国アルゼンチンからは、飛行機代を使ってまで来ないでほしい。その分を貧しい人に寄付するように、と呼びかけられた。
♪don't cry for me argentina~
マドンナ版映画・「エヴィータ」の歌声は記憶に新しいが,don't fly for me argentinaという記事の新聞もあり、笑いを誘った。
『簡素』、ということで、物を多く持たない。贅沢や無駄はしない。ごみを少なく。・・・といったような生活上での簡素化、シンプル・ライフがうたわれているが、精神面での簡素化とはどうだろう。
パパ様は、「貧しい人たちを忘れないでください」とおっしゃるけれど、金銭的な貧しさだけでなく、愛に飢えている人も多いかもしれない。
物質主義に毒されると、自己中心的になり、他人を踏みつけにし、豊かな生活に憧れるあまり心を空っぽにしてしまう。以前、マザー・テレサが日本に来日された際、非常に厳しい愛の言葉を言われた。「周辺のカルカッタで喜んで働く人になってください。」と。私達の周りには、物質的に餓え、病み、疲れた人は少なくても、『愛』に餓え、ほほえみに餓え、人間としての尊厳を失っている『貧しい人々』が多いのではないだろうか。
といっても、物乞いをみると躊躇してしまう自分がいる。知らない人、苦手な人に会うと,笑顔が出づらい自分がここにいる。自分の殻を壊すのには,ちょっとした勇気がいる。
あなたの時間を人々に与えて,惜しまないように。いつかそれがあなたの必要なときにもどってきます。見返りを求めずに与えること。
あなたの良いものを、みんなに配っていきなさい。無条件にしたことは、あなたが生きているうちにあなたに返ってくることでしょう。
豊かさなの中から施しをしないでください。何か自分に必要なものを犠牲にして、痛みを感じながら人に与えるのです。そうすれば、同じ痛みを通じて、相手とつながることができます。(ヴァレンタイン・デ・スーザ神父)
コンクラーヴェのために、ヴァチカンにいらした新教皇は、アルゼンチンの家においてきたものはあったのだろうか?人事ながら考えてしまう。
裸で生まれ、裸で死んでいく私達。あまりものは持ちすぎないほうがよいのかもしれない。贅沢をして、心にまで脂肪をつけないように。
http://