連翹と書いて「れんぎょう」と読む。
画像をみれば、あ~あの花か・・・と思う人も多いだろう。
花言葉は『希望』。
この時期、普段だと連翹は既に満開なのだが、今年は、やはり寒いのか?まだまだつぼみの段階。
連翹は、モクセイ科レンギョウ属。ちなみに、クリスマスのオーナメントによく使われるヒイラギもモクセイ科。英名はゴールデンベル。たしかに、黄色い 4 弁の花が鈴のようにたくさんついており、それが固まると、レモン色が黄金のように見える。
ところで、4月2日は、彫刻家・詩人の高村光太郎(1883年 - 1956年)の命日で、これを「連翹忌」とも呼ぶのだそうだ。これは、高村が生前好んだ花が連翹であり、彼の告別式で棺の上にその一枝が置かれていたことに由来するからだという。
その時、学生の頃読んだ光太郎の死で『レモン』に関するものがあったことを思い出した。高村光太郎は、東京出身だが、私の父の出身地、岩手県花巻市に疎開しており、そこに7年生活していた。今でも『高村山荘』というのが残っており、子供の頃、そこを見にいったことがある。(そして、十和田湖畔に立つブロンズ像「乙女の像」が彼の作品だったと今になって知った。)
山荘内のトイレ・厠に「光」という文字の明かり取りがあったのが、『光』という形で光が入ってくるとは、非常に印象的だった。そしてなぜか、後に読んだ、(下記参照)「レモン哀歌」は、私の中で,モノクロな背景の中に,レモンだけが色をもっている唯一のものに思えたものだ。
レモン哀歌
高村光太郎
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白いあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関ははそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光つレモンを今日も置かう
「智恵子抄」より
死に逝く智恵子が、求めたレモン。それは「命」の象徴に思えてならない。
光太郎は、その後、東京のアトリエへ移転し、春はアトリエ前の庭の連翹の花を観賞して創作活動の気分転換をしていたという。
今日3月17日の花・連翹が、私の中で、なぜかレモンと結びついてしまった。
