ヴィア・クルーチス ~ 十字架の道行き | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

四旬節に入ると,金曜日にミサは行われない。 
その代わり、Via Crucis(十字架の道行き)というキリストの受難を黙想する祈りが捧げられる。 

多くの教会には、お御堂の両側の壁に小さな額が並んでいる。これは十字架の道行きの各留の場面を絵にしたもので、絵画やレリーフなど表現はさまざま。 

参加者全員で移動しながら、祈ることもあれば、代表者が各留を移動し、他の人は移動する人に心をあわせ、自分の席で祈ることもある。日本での道行きに参加したことがないので、わからないが,イタリアでは聖歌が道行きの前後に入る。 

この儀式が,復活祭までの間,毎週金曜日に行われる。我がパロッキアの場合は、午後3時に行われるので、出られる人にも制限があり、大抵はお年寄りばかり。ちなみに、ミラノの教区では、この時期は、毎週火曜日の夜にドウモにて十字架の道行きが執り行われる。 

また、復活祭直前の金曜日(「聖なる金曜日」)は,毎年、法王がローマのコロッセオで執り行っている。今年はパパ様は体力的に無理よね・・・・と思っていた矢先の退位宣言。カメルレンゴ(使徒座空位期間の責任者)は2007年にベネディクト16世が任命されたタルチジオ・ベルトーネ枢機卿が務めるが、その日まで、時期法皇が選出されるのかどうか。 

ところで、ロンバルディア州にあるミラノ大司教管区(Archidiocesi)は、世界で一番大きい管区といわれている。そのうち、1104の教会がある。7つの県にわけ、ミラノ県のミラノ教区には463の教会がある。その内7つの地域にわけられるが、73の小教区がある。その内の1つである、我がS.Siro小教区にも6つ教区教会(パロッキア)がある。(他にも修道院もあるが、数には入れられず。) 

ミラノ大司教管区にだけでもカトリック信者数(洗礼者数)は、人口の90%以上であり、490万人弱とされている。(2010年の教皇庁の発表によるもの)ちなみに、日本には16の教区があり、796ものカトリック教会が、また信者数は448,440人と発表されている。(2010年12月発表)いかに、日本にはカトリック信者が少ないかがわかる。(人口の0.35%) 

話はそれたが、今晩、毎年四旬節第1金曜日に執り行われる、小教区の十字架の道行きがあった。6つのパロッキアは毎年、順番にホストとなり、デカナートの信者達があつまる。大抵は、『洗礼の告白』『信仰の告白』などがテーマとなり、各パロッキアから代表者が話をし、賛美歌をテゼを歌ったりと、特性が高い。私も6年前に、洗礼の告白をした。イタリア人にとっては、成人の洗礼は珍しいので、いかにアジアの人間がカトリックに導かれたのか、興味をもたれた。 

今年は,少し様子も変わり,我がパロッキアから1キロちょっと離れたミラノ宣教会(PIME)へ歩いて十字架の道行き行列をした。普段は自転車で行く距離を3箇所立ち止まっては、祈りと歌をささげ、40分くらいかけていっただろうか。参加者150名くらいだっただろうか?パトカーが行列の前後につき、警察も信号を止め、トラムを止め、日本では考えられないだろう。大きなスピーカーを若者が抱えながら運ぶ。 

前日から降っていた雪が気になっていたが,午後の3時くらいに止んだ。道行きが始まると同時にぱらぱらまた降り出したが,それほど気にはならない。私は聖歌隊にいるので、譜面を見て歌いながら、歩くのだが、初めての曲で、楽譜から目は離せないし、グループから離れなきゃいけないし、で緊張度マックス!! 

PIMEにつくと、昨年カンボジアから戻られたばかりの宣教師が、宣教師としての、『十字架の道行き』の告白をされた。本来そこのホールでは、毎年9月に世界中に宣教師として羽ばたいていく,宣教師達の壮行会が行われる。出発の地でありながら、ある意味、殉教も覚悟していくのだ、とおっしゃる。昨年は、ミラノ宣教会からは、24名の殉教者があったという。アフリカで4名、コロンビアで7名、インド3名、メキシコ5名、他の地域もあるが(その殆どが20-40歳代)、キリストという名のために、命をなくす人がいまだにこんなにも多く、それでいて喜んで宣教のために出かけていく人たちがいる。先日,冗談半分で、子供達が宣教者にならないか?と書いてしまったが, 撤回。子供以前に、私自身に、その信仰というものの深さ,重さをもっと感じないといけない。 

11時過ぎ、近所の人たちと歩いて帰宅。寒いね・・・早く夕飯食べたからお腹すいたね。暖かい牛乳が飲みたい。いや、グラッパだよ、と話しつつ、「あっ今は四旬節なんだ・・・」と笑った。洗礼を通して受けた恵み、そして今も受け続けている恵みをもう一度深く意識することができる機会になればいい。 

http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11181370717.html 
http://www.pauline.or.jp/prayingtime/michiyuki06.php