祈り | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

法王の退位宣言から10日が過ぎ、今後のヴァチカンの動きから目が離せないのだが,今日興味深い記事を読んだ。 

ヴァチカン(ローマ教皇庁)文化評議会議長ジャンフランコ・ラヴァーズィ枢機卿は、聖書,神学の権威で、Le frontiere dello spirito という番組では、88年から、毎日曜日の朝、ずっと聖書の解説をされている。非常に話がわかりやすく、2006年にCorriere della seraから発売された有名絵画の挿画つきの聖書(20巻)はラヴァーズィ枢機卿の解説付きで、13巻だけ持っている。(始めの12冊だけは(旧・新約聖書)は新聞を買えば付いてきていたが、その後の8冊は有料だったため。あせあせ) 

話は戻り、この17日から23日までの間、ヴァチカンのレデンプトーリス・マーテル礼拝堂において、教皇と教皇庁で働く高位聖職者を対象に、四旬節の黙想会が行われており、そのテーマは、“Ars orandi, ars credendi: il volto di Dio e il volto dell’uomo nella preghiera salmica” (祈りの法と信仰の法: 詩編の祈りにおける神のみ顔と人間の顔)となっている。 

まっ難しいことは、私は文章を読むだけでは,まったく理解できないので、間違った解説は危険な為さけるが、その祈りという行為には,4つの『動詞』が付けられる、という。 

1. Respirare 
2. Pensare 
3. Lottare 
4. Amare 

Rispirareは「呼吸」。祈りは呼吸。なくてはならないもの。 

Pensareは「考える」こと。考えることは祈りの行為ではないが、感情、本能ではないが、神の望みに巻き込まれることである、という。 

Lottareは「闘い」。旧約聖書のホセア書では、母の体にいたときから,兄のかかとをつかみ,力を尽くして神と争うヤコブが描かれている。「神の使いと争って勝ち泣いて恵みを乞うた。」(ホセア12:5)祈りは,神への苦悩と祈願を伴う、という。 

Amareは、「愛すること」。神の愛にこたえるために、キリストの愛に動機づけられて、すべての人を愛する、ことだと理解するが、やはり難しい。 


そして、5つ目の構成要素をあげるのならば、Silenzio,沈黙であろう。上記4つの動詞を結びつけることができる、という。 


           ~・~・~・~・~・~・~ 

行いと共に祈りが必要で, 祈りと共に行いも必要であろう。 
頭で悟るのではなく,心で感じられるように。 
忙しい生活の中でも、静かに祈れる時間を保たなければ。 


ちなみに、既に時期教皇選出に関しては、早くも「掛け屋」が乗り出しており、上記ラヴァーズィ枢機卿の名前を出ているようだ。 

http://www.zenitinitaliano.it/articolo/come-mose-benedetto-xvi-sara-in-preghiera-sul-monte-intercedendo-per-noi-combattenti 

http://ja.radiovaticana.va/news/2013/02/18/%E6%95%99%E7%9A%87%E5%87%BA%E5%B8%AD%E3%81%AE%E4%B8%8B%E3%80%81%E3%83%90%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%9B%9B%E6%97%AC%E7%AF%80%E9%BB%99%E6%83%B3%E4%BC%9A%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B/gia-666121 

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message790.htm