ヴァチカン(ローマ教皇庁)文化評議会議長ジャンフランコ・ラヴァーズィ枢機卿は、聖書,神学の権威で、Le frontiere dello spirito という番組では、88年から、毎日曜日の朝、ずっと聖書の解説をされている。非常に話がわかりやすく、2006年にCorriere della seraから発売された有名絵画の挿画つきの聖書(20巻)はラヴァーズィ枢機卿の解説付きで、13巻だけ持っている。(始めの12冊だけは(旧・新約聖書)は新聞を買えば付いてきていたが、その後の8冊は有料だったため。
話は戻り、この17日から23日までの間、ヴァチカンのレデンプトーリス・マーテル礼拝堂において、教皇と教皇庁で働く高位聖職者を対象に、四旬節の黙想会が行われており、そのテーマは、“Ars orandi, ars credendi: il volto di Dio e il volto dell’uomo nella preghiera salmica” (祈りの法と信仰の法: 詩編の祈りにおける神のみ顔と人間の顔)となっている。
まっ難しいことは、私は文章を読むだけでは,まったく理解できないので、間違った解説は危険な為さけるが、その祈りという行為には,4つの『動詞』が付けられる、という。
1. Respirare
2. Pensare
3. Lottare
4. Amare
Rispirareは「呼吸」。祈りは呼吸。なくてはならないもの。
Pensareは「考える」こと。考えることは祈りの行為ではないが、感情、本能ではないが、神の望みに巻き込まれることである、という。
Lottareは「闘い」。旧約聖書のホセア書では、母の体にいたときから,兄のかかとをつかみ,力を尽くして神と争うヤコブが描かれている。「神の使いと争って勝ち泣いて恵みを乞うた。」(ホセア12:5)祈りは,神への苦悩と祈願を伴う、という。
Amareは、「愛すること」。神の愛にこたえるために、キリストの愛に動機づけられて、すべての人を愛する、ことだと理解するが、やはり難しい。
そして、5つ目の構成要素をあげるのならば、Silenzio,沈黙であろう。上記4つの動詞を結びつけることができる、という。
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行いと共に祈りが必要で, 祈りと共に行いも必要であろう。
頭で悟るのではなく,心で感じられるように。
忙しい生活の中でも、静かに祈れる時間を保たなければ。
ちなみに、既に時期教皇選出に関しては、早くも「掛け屋」が乗り出しており、上記ラヴァーズィ枢機卿の名前を出ているようだ。
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