手はかけないが、目はかける | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

愛読している作文教室『言葉の森』の日記より。 

>小学生は、がんばらせすぎないこと。 

大人はがんばれば何とかなると思いがちです。 
しかし、それは、自覚した人ががんばる場合です。 

自分から進んでがんばるとき、人間は成長します。 
けれども、子供が本当の意味で自覚を持つのは、中学生の終わりから高校生の初めにかけてです。 

小学生のころは、がんばっているように見えても、それは、親や周囲の人が喜んでくれるからそうしているだけです。 
だから、この時期にがんばらせすぎると、中学生になってから反動が来るのです。(おどかすようですが)親の言うことをよく聞く時期こそ、親は子供の心の動きに敏感である必要があります。 

しつけについては、ある程度厳しくしても問題ありませんが、勉強に関しては、必要以上に無理をさせないことです。 
ときどき距離を置いて子供の様子を見ておくようにするといいと思います。 

ひとつの目安は、完璧を目指さないこと。 
ときどきずっこけるぐらいがちょうどいいのです。 


<また別の日の日記> 
百人一首が流行っているようです。 
こういう遊びが残っていてよかったと思うのは、子供でも百人一首をすぐ覚えられるようになるからです。 
もし、この遊びがなかったら、昔の短歌を百首も覚える子供というのは、たぶん誰もいなかったでしょう。 

百首覚えるというのは、確かにそれほど簡単ではありません。 
しかし、そういう遊びがないと、そんなことは無理だと大人も子供も思ってしまうのです。 

これは、ほかの勉強でも同じです。 
親ができると思えば、自然に子供にさせられますが、親が難しいと思えばやはり子供にはなかなかさせられません。 

一般に子供はまだ小さくて成功体験が少ないので、少し難しいことは、「できない」と言います。 
そのときに、親が迷うと、そのままできなくなります。 
ところが、親が明るく確信を持っていれば、簡単にできてしまうことが多いのです。 

大事なのは、能力の前に意識の持ち方です。 
「できると思えばできる」などというと根性論のようですが、そういう根性が意外と大事なのです。 


       ~・~・~・~・~・~・~・~・~ 

いやいや、おっしゃるとおり。 

たまに、『お母さん,理想高すぎませんか?」と言われることがある。どこが?と思ってしまうし、私だったら、出来る・・・と思っても、やはり子供は違う生き物。子供は神様からの預かりもの、と思ったほうがいいかもしれない。 

とはいえ、よくも悪くも,我が家の子供達は私や夫の顔色を見ながら,勉強することだけはない。そして、親に褒められるよりも,先生にほめられるほうが,やる気がでるようだ。よく、親が子供を褒めるように、というが、『是非是非学校でも子供を褒めてほしい』。豚もおだてりゃ・・・だが、これほど、伸びるのか?!と思うほど、我が家の場合は、やる気を発揮するのだ。 

ただ、そのスイッチも接触不良で、やる気に波があるのがたまにきず。爆 

今週は、次男・長男の年間前期のパジェッラ(成績表)受領だった。まーまー、音楽,美術、体育,宗教だけはいつもいいのよね・・・今回は二人とも,『態度』も優秀。まあ、他の教科が悪くても,態度さえ悪くなければ,先生に目を付けられることはないだろう。笑 

宣教師にでもなる?まあ、夫が反対するだろうな・・・笑 

http://www.mori7.com/