昨日、長男のことで、ぶっちぎれた。怒りで思い切りソファをけりそうになるところで、足はいかん!とやめた。(実際ソファを蹴って骨折した友人の友人の話しを聞いていたので・・・)下手したら、両足骨折だったわ・・・そんな育て方はしてません!今度同じことをしたら勘当するぞ!と涙をこらえ、友人宅での食事会に出席。
夜9時半近くに長女から携帯電話に連絡がはいり、長男が上着をきて今から教会へ行くといって出かける準備をしている・・・という。「あほか!!こんな時間に教会はあいていない。反省しているならまずは反省文かいておけ~!!」再びぶっちぎれ。
帰宅すると、反省文が机の上に・・・忘れないように玄関にはっておくことにする。忍耐にもほどがある・・・夫も私を抑えるのに、苦労しているようだ。
彼が何をしたかは、彼の名誉にかけて黙っていよう。でも、初めてじゃないんだな。前回は、彼も何度も教会に告解にでかけていたし、私も夫も我慢に我慢を重ね、許すことにした。それなのに・・・裏切られた気がした。
「ママさ・・・どう考えても、Yのこと、信用しすぎなんだよ。」と冷めてる長女。親が子供を信用しなかったら、誰がする?!そう思った私が親ばかちゃんちゃらりん。
どれほど相手を愛し、信じていても、人間は必ず不完全なのだから、相手を100%信じてはいけない。2%(何%でもいい)を"許す"ためにとっておいて98%の信頼にしておくこと。100%信じていたら、相手を許す余地がなくなってしまう・・・・とある本に書かれていた。
確かにそうかもしれない。
不信感を持つのだろうか?とも考えがちだが、『許すための2%』なのだ。
たとえ夫婦であっても、恋人同士であっても、「あなたなしでも生きていける自分」を持つことも大切なんじゃないだろうか?そうでないと、先に逝かれてしまったら、本当に生きていけないことになってしまうから。親子なんていったら、もっとそう。母一人、子一人(息子)の友人は、息子の成長を想像するだけで、泣き出してしまうから、彼女ができたら大変だろうな・・・と思う。
あなたの子供はあなたのものではない。彼らは命そのもの憧れの息子と娘である。
彼らはあなたと共にあるけれどあなたの所有物ではない。
あなたは彼らに愛情を与えるが、あなたの考えを与えることは出来ない。なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。略
これは、ハリル・ジブランの「あなたの子供」の詩の一部であるが、確かに子供は自分とは別人格で、自分の所有物ではない。
成熟した愛とは、縛る愛から、解放する愛へと成長すること。相手を信じること、それが愛を持続させるために必要、と大好きなシスター・渡辺がおっしゃる。
子供が別人格であるならば、彼の問題も彼の問題。とはいえ、子供(相手)をあるがまま受け入れ、許すということは、こんなに痛みが伴うことか・・・。
信頼で埋めていくのが、親の成熟した愛ならば、やはり『育児』は『育自』。子供の成長と共に、親の愛も成長していかなくてはならぬ、と痛い思いを感じた。
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