イタリアの学校には、義務ではないが『宗教』の時間がある。
小学生は、どうも『カトリック』に関する授業だけのようだが、中学生になると、他の宗教にも触れるようで、現在現地校中3の長男は『ヒンズー教』について調査しているとか。
『宗教』と『信仰』は別物。
だから、義務ではなくても、個人的には、知識として知っておくには、やはりいいことだと思う。特に人種の坩堝のミラノ。外国人を理解するベースにもなる。
小学校から高校まで、この授業をとる人ととらない人とでは、どれくらい時間的なことと知識に差がでるのだろう。長女は、カトリックの洗礼から堅信も受けているが、ある時から教会に来なくなった。神様はいると思うけれど、教会が嫌い。教会に通う人が嫌い。・・・などといわれてしまうと、こちらもどうしようもない。今は静かに見守ることが大切だとよく言われる。けれど、彼女自身は、宗教の時間は大好きで、今の高校の宗教の先生と、個人的にいろいろ質疑応答するのがすごく楽しいという。彼女に芯なるものがあれば、それはそれでいいと私は思っている。
さて、現在次男が通う小学校の前にある教会でMissione Popolareというイベントが行われており、ウンブリア州からフランシスコ会の修道士たちが40数名来ているという。地域の家庭に分かれて寝泊りしており、21日までの間、さまざまな催しが行われる。ミサを始め、家庭集会、児童・生徒、思春期の若者、結婚を控えているグループ、また、別居者・離婚者との会談などなど。長男の中学や、次男の小学校にも話をしにくるのだという。ちなみに小学生には、アッシジのフランチェスコの生涯について話をされるという連絡が前もって家庭に連絡が入った。小学3年生は宗教の授業で、ちょうどフランチェスコに触れている。私は家庭集会の日程は、別の聖書研究会がぶつかっておりいけないが、信者でない人にも、こういう機会が開かれるというのは、非常にいいことだと思う。
明日の夜には、特別ミサが執り行われ、ミラノの聖アンブロージョ教会の主任司祭もいらっしゃる。長女に洗礼を授けてくださった方だ。ぜひ行ってみたい。
今週から、教皇様が定められた『信仰年』が開催される。よいスタートとなりそうだ。
こちらは、
アッシジの聖フランチェスコの『平和を願う祈り』
神よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように
いさかいのあるところに、赦しを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、よろこびを
闇のあるところに、光を
もたらすことができますように、
助け、導いてください。
神よ、わたしに
慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されることよりも、愛することを
望ませてください。
自分を捨てて初めて
自分を見出し
赦してこそゆるされ
死ぬことによってのみ
永遠の生命によみがえることを
深く悟らせてください。
宗教を超えた祈りとなりますように。