補習校は先月、新学期を迎え、これから授業参観に懇談会が始まるけれど、現地校はあと1ヶ月もすれば、長い長い(親にとっては)地獄の夏休みに突入!!ということで、これまた、個人面談やら懇談会が重なる時期となった。
我が家はWスクールx3人ということで、親もつらい。しかも明日は補習校の月謝支払い最終日。今期から値上がり、さらにつらい・・・
今朝は、長女の担任(イタリア語、ラテン語、ギリシャ語、歴史担当)と個人面談。今回初めて夫も出席。お互い、もう何も話すことはないから、行っても無駄とは思っていたが、一応形だけ。
長女「魔の思春期」真っ只中。周りが何を言っても仕方ない。本人が変わらない限り何も変わらな い。押し付ければ、親子の関係(特に母子)は悪くなる一方。親は、祈るしかないのだろうか。
今更、どうこうではないが、がっくり。そのままITAMAへ。本来は、直帰して、そのままベッドに入りたい気分だったが、逆に子供たちに囲まれたほうが、エネルギーをもらえるだろう。案の定、行った途端、「うんち~」「だっこ~」ブロックは飛んでくるわ、落ち込んでいられなくなった。お母さんにお尻をきれいにして戻ってきたE君。ずっと「ママは?」といって、ぐずっていたが、抱っこしていたらだいぶ落ち着いたようだ。こうやって心が落ち着くんだから、この時期は素直で簡単でいい。
午後から再び長女の高校へ。今度はConsiglio di Classeといって、各教科の先生方との会談。今期、授業はどうだった、学生たちはどうだった・・・といった話でおわり、残った時間は個人面談。今度は数学の先生と。彼女はボッコー二大学でも教鞭をとっている。想像していたよりも、厳しいことは言われなかったが、再び気分は落ち込み・・・誰にも言われたのは、「思春期だからね、そのうち乗り越えますよ。」と勇気付けていただいた。
私は、負けず嫌いだったから、自分が納得いかない成績だったら影で努力したけれど、意外に興味がないものは、あっさりとあきらめてしまうところもあった。長女の場合、あっさりした部分だけ私に似てしまった。何がどうしてしまったのかな・・・あまり心をひらかず、私の子育てが悪かったのだろうか?と悩むことさえある。
魔の思春期・・・「思春期」は明確な定義があって、「第二次性徴の始まりから成長の終わりまで」というが、これに「多感期」が重なるからやっかい。「多情多感」。
雑誌・Newtonの先月号には日本の「引きこもり」が紹介されていた。意見交換しよう、と友人に言われたが、まだ読んでいない。引きこもり ・不登校・うつ・統合失調症 ・拒食症 ・思春期 ・いじめ・非行・過食 ・・・イタリアでも最近よく聞く現象だけれど、子ども達が主張したい気持ちとそれをどう社会的な面で適応させていけばよいのか?というのは多くの親の悩むところだろう。また、子供の問題から夫婦の問題に発展した友人もまわりに沢山いる。(結局元をたどれば、夫婦の問題が先だったのだろうが)
今までありえなかった夫の子育て参加(特に精神面で)が実現しつつ、それには感謝している。そうでなければ、私はパンクしていただろう。試行錯誤の毎日。子ども達にとって何よりも親が味方であること、どんな場面でも愛情を示すことが何よりも大切になってくるだろう。
育児は育自。自分の成長なしに子供はまっすぐ育たないし、自分の成長は、自分との闘いなしにありえない。子供は、お金では育たないしね。
長女に言われた。「ママ、私の名前はSperanzaだよ。」<希望>という名の洗礼名。聖ソフィアの3人の娘のうちの一人だ。私が落ち込んでどうする!!希望を持たなくては。