昨日は、地元パロッキア(教区、区域の教会)では5人の乳児の洗礼式があった。
全員フランス人。我がパロッキアには、フランス人の共同体も所属している。というのも、パロッキアとフランス人学校(幼稚園~高校)は目と鼻の先。トラムをはさんで教会の向こう側の閑静な住宅地には多勢フランス人が住んでいる。
普段、主日(日曜日)のミサは、フランス人会とは時間が違うので、彼らとかち合うことはほとんどない。言語はもちろんフランス語のミサ。クリスマスや復活祭は、自国に戻ってしまうか、旅行中の人が多く、やはりフランス人をみかけることはない。年に2度、「聖家族」の主日と「聖霊降臨祭」のミサが合同となり、その後一緒に分かち合いの食事となる が、食事会まで参加す るフランス人は本当に少ない。フランス人は閉鎖的なのだろうか?と疑問を持ってしまうが、それであれば日本人も同様、団体になると閉鎖的と思われがちなのかもしれない。私個人としては、「郷に入れば郷に従え」で地元に根を下ろすべきだと思うので、やはりミラノにも日本人のカトリック教会はあるが、あえて行っていない。宗教は関係なくとも、地域の外国人女性のためのイタリア語教室、ITAMAに傾倒するのも、基本的には、「地域に根付く」という思いがあるからだと思う。
話は基、我がパロッキアは、毎月乳幼児の洗礼式はあるが、フランス人の洗礼式を共に祝うのは,初めての試みだった。言語はもちろんイタリア語。
イタリアでの洗礼や初聖体などの儀式は,今や日本のお宮参りや 七五三のように、一般行事化されつつあり、この日に限って信者でない人や教会離れしている人も、どっと教会に集まり、親戚の集会場?よろしくミサ中でもおしゃべりに花が咲いちゃうこともあるからたまらない。かと思えば、わかれた夫婦がここで、顔を合わせたりと、修羅場復活?!ということさえありえるのだ。
まっどういう理由だか、最近では、乳幼児の洗礼式は、日曜日の午前中のミサとは時間をわけてすることもあったが、わがパロッキアに関しては、ミサ中に受洗する子供の紹介、諸聖人に保護を頼む祈りや、信仰宣言は一緒にしつつも、洗礼自体は、やはりミサのあと、という形におさまっている。やはり昨日もそのやり方だった。
洗礼を受けた乳児5人のうち3人は男の子。しかも全員「Samuele」君だった。サムエルは、旧約聖書の『サムエル記』に登場するユダヤの預言者、士師(民族指導者)。現代のフランス人の間では、モーダな名前なのだろうか?
昨日の福音(アンブジアーノ典礼)はヨハネ:14章1-11節の「私は道であり、真理であり、命である・・・」というところだった。神父によっては、受洗者の代父母は、離婚していてはいけない、別居はいけない、云々いいはじめ、その場の雰囲気がしら~っとすることもあるが(その日に限って教会離れしている受洗者親類も沢山きているからだ)、昨日はそのことには一切ふれず、受洗者の両親、代父母は『歩むべき道を示すことのできる人でなくてはいけない。』とあった。う・・む、宗教にかぎらず、親としての義務、使命であろう。
代父母向けにかかわらず、いい話だった。真理は一切変わらない。普遍だからこそ、普遍性に根ざしているからこそ、カトリック。ギリシャ語のcat- (完全に) +-holic(同種の)となる。
ミサの最後に、司式を務めたフランス人司祭が「私のフランス語アクセントのイタリア語はお気に召しましたかな?」と冗談を言われた。単語の変化があやうくなると、会衆に助けを求めるのだ。私と同じレベルで嬉しい。笑
信仰も人生も根は、しっかり下ろしつつ、柔軟性が大切。郷に入れば郷に従え。自分の計画には柔軟性があるだろうか?と考える良いミサだった。