郷に入れば郷に従え ~ 救急病院 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

人間一生にどれくらいの回数、救急病院へかかるのだろうか。 

子供の頃、弟がよく熱を出してはひきつけをして救急病院へ飛んでいったと何度も母に聞かされた。また、夜中に目を覚ますと、やはり弟と両親がいなくて泣いて近所の家の呼び鈴を鳴らしまくったことがある。日中に食べたシュー・クリームにあたり救急病院へ行っていたことをしっかり記憶している。 

私は、というと高校生の頃、台所で洗い物をしていた際、手が滑ってコップを割ってしまったのだが、あっと思った瞬間、ガラスのかけらを飲み込んでしまい、あわてて救急病院へ飛んでいったことがある。レントゲンをとったが、何も見当たらず。その後も何の異常もなかった。あれはなんだった んだろうなあ。 

あとは、計画出産でない限り、出産は破水、出血あるいは陣痛が来れば病院へ飛び込むだろう。長女の場合は、病院へ入ったとたん、微弱陣痛で消えてしまった。けれど、予定日を過ぎていたので、1日半、病院の階段を上り下り・・・その他、乳腺炎、じんましん、転倒、子供の件では、日中頭を打って、夜中になってから嘔吐、他にも腹痛などで日本、イタリアかなり救急病院へ飛び込んでいるかも。 

次男の生まれた数ヵ月後、夫がウクライナ出張中に盗難車にひき逃げされ、記憶がなくなる瞬間、「もうだめだ・・・」といって電話をもらい、その後数日連絡が途絶えたときは、それこそ、頭が真っ白。やっとミラノに戻ってきても、救急病院へ連れて直行しても数時間待ちの時は 、途方に暮れた。 

いずれにしても、どこにいても救急事態はパニックになりやすい。 

今回は、長男が雨の歩道で滑って転倒。左手首を打ったという。夕方に起きたにもかかわらず、空手の練習へ行き、練習はしなかったものの帰宅は8時半。皆にご飯を食べさせ、次男の寝る準備をして9時半に救急病院へ向かった。夫は出張中。気づくと財布には一銭もない。行きはバス。帰りは、どうせ数時間待ちでバスがなくなれば歩きかも・・・またまたぐったり。 

イタリアの救急病院は、まず保険のカードを提出し、受付を済まし、病状によって緊急度別の色のコードでマークされる。赤、黄色、緑、白。その後、一般受診になろうとも、救急病院でどの色のコードだったか記され、検査などの優先順位に影響してくる。 

長男は緑色だった。とはいえ 、割りにすぐに中に通してもらった。レントゲン室の前を通ると、すごい人の山。げげげ・・・ここでも待つの?と思うと、トラウマトロジアという外科や整形外科でもない外傷科に通された。とりあえず話を聞いてもらい、レントゲン。そこで1時間くらい待たされただろうか。レントゲン室から担当医へは、メールで画像が送られる。一緒にPCの画像を見せてもらった。左手首、くるぶしの内側、小指側の骨、尺骨にひび?!という判断だった。けれど、どうも変わった分離の仕方で、右手の画像も撮ってみたが、右側はまったく問題なし。これをどう判断していいかわからないので、同僚にメールを流したので、指示待ちだ・・・といわれ12時半まで待たされたが、わからず。とりあえず、ギプスをはめて帰宅させられた・・・(出張先から夫が飛んできたのでとりあえず徒歩ではなかった。ほっ)続く。