作文力 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

私は子供の頃から、文章を書くのが好きだった。 
毎日日記を書いたり、読書感想のノートを作っていて、毎回読んだ本をあらすじと感想に分けて書いていた。今思えば、子供の為にとっておくべきだったと後悔。 

また、小学5,6年生のときの担任の先生が、詩の暗誦をさせたり、つづり方といって書くことに力を入れていたことが、今の自分にすごく影響していると、痛感、そして感謝。 

そして、学生時代には、『国語表現法』という授業があり、隔週毎にテーマがあり、それについてつづり、その間の週に、書いた人の名前は触れないが、皆の前で読んでもらえる。自分の書いたものが読まれると、ひそかに机の下で、ヨッシャー!!っとガッツ・ポーズをしたもの。 

・・・そしてうん十年。 

暇人と思われるだろうが、毎日何かしらの思いをつづっている。 
が、自分の子供は書くことが大嫌い。長女に関しては、5歳から日記を書き始め(当時は日本語)20数冊までに至ったが、その後はイタリア語。今は続いているのかどうか不明。今年から長男が日記を書き始めたが、イタリア語。次男は2日でおしまい。 

年に一度の読書感想文の宿題も、母親の宿題と化し非常に苦労している。思ったことをメモ書きにさせ、それを元に膨らまして、膨らまして、文章を作っていく。こつなんだけどな・・・と思いつつ、誰もが苦手。 

書くことは考える事であり、作文力は思考力そのものなのだと思うけど、「どう思う?」と聞けば 、誰もが口をそろえて「面白かった」だけ。とほほ・・・ 

私の子供の頃は、国語の授業といえば、「読解」が中心だった。けれど、何をするにも「文章表現」が大切なのではないだろうか?国語以外の教科でも「書く勉強」がいっぱい。学力、仕事、日常生活すべてが『作文力』に通ずる。 

ただ、学力アップ、仕事に役立つ、というだけでなく、人の内面的な成長にも繋がると思うのだけど。 

けれども、イタリア生まれ、又は日本で生まれても、イタリア育ちの子供達は、無意識に日本語を聞いて、頭の中に蓄える状況がない。意識的に、頭の中に日本語のボキャブラリー、構文を蓄える事を心がけないと国語としての日本語は成り立たない、というのがネック。そのためには、何度も何度も繰り返す音読、暗誦が大切なわけで、親子の対話も不可欠。 

子供の自発性は徐々に発達する。それを信じて、『無言の行』に徹するべきか。 

忍耐、忍耐また忍耐。