平常心 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

最近どうも腑に落ちないことがあり、平常心を失っている。 
自分に直接関わる事ならば、反省も努力もするが、不透明で、どうも判断の基準がはっきりしないことが腹立たしい。本音と建前があからさまに違う。ただただ諦観しなければならない状態。 

ただ、自分の動揺で、他人に影響をかけたり、人の生活まで暗くしてはいけないと、自分に言い聞かせ、心の内部で処理する努力をしようとするが、もんもんと蛇の生殺の毎日。 

そんな時、ある方の言葉を読んだ。 
「人間の大きさは、その人の心を乱す事がらの大きさなのだ」と。 

つまらないこと(所詮、一生から見たら小さな事に過ぎないから)に自分の時間とエネルギーを費やしてはもったいないのではないだろうか。それが平常心に立ち戻ることを可能にする一つの秘訣だということ。 

今朝、Mixiであるマイミクさんの日記を読んで考えた。 
>良い方向へ考え話すと否定される ・・・ 
否定的な考えの人と話していると暗い気持ちになってしまう ・・・ 
私の考え方が正しい訳でもないだろうし、ただ単に考え方の違いなんだろうし 
嫌なら付き合わなければいい・・・ 

切捨ての付き合い。それもあるかもしれない。 
その人と私の共通点は、『来るものは拒まず。去るものは追わず。』 

私はイタリアに来て、人に多くを期待しなくなった。 
後で頭に来たり、落胆するのが嫌だから。上手く行けばそれでよし。そうでなければ、問題ないのだし。ある意味、生きる術?なのかもしれない。 

人に期待してはいけないというのではない。ただ、自分も他人も、弱い人間であることを心に留めて、気が変わりやすかったりするだろうし、『気にしない心』を心がけたいのだ。 

醒めた目で問題の大きさを見極め、温かい心で人間の弱さを包むこと。かなり難しい。 

「目と心」のバランス・・・。それが、平常心に立ち帰り、それを保ちながら生きることが大切なんじゃないだろうか。 

醒めた目を持って、物事を客観的に捕らえながら、同時に人に対して温かい心をもつ・・・この2つが自分の人格の中で統合されてこそ、本当に心豊かに生きていけると思う。以前「冷静と情熱の間」という小説及び映画があったが、冷静と余裕の間の温かさ、それが平常心なんじゃないだろうか。 

私は、まだまだ温かいどころか熱くなりやすい。