子育てとほほ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

「魔の2歳」、「魔の3歳」と聞くけれど、「魔の思春期」ですな。我が家には、ついでにわけ分からない7歳もいるけれど。 

毎日、毎日誰かしらが問題を起こし、学校からは呼び出され、「すいません」、「注意します」の繰り返し。 

「てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情け無くって涙出てくらああ!・・・・・なあ~かあちゃん? 」は、子供の頃、よくみた「あばれはっちゃく」の父親の名台詞。 

「あんたの馬鹿さ加減には、母ちゃん情けなくて涙も出てこないわ」は、よき理解者の母親も、本当に怒ると、こう怒鳴る。 

「あんた達をそんなふうに育てた覚えはない」と一喝。しかし、言ったあとで、これは「子は親が育てたように育つはずだ」という思い込みに気付く。ありえない。ありえないから子育てか。しいて言えば、こう育てたつもりでいたはずが・・・ってことだろうか。相田みつをさんは『育てたように子は育つ』と逆の事をおっしゃっているし。 

感情的になってしまうと、涙が出てしまう。けれど、たまに涙をだすと、子供もはっとするらしい。こちらは、また違う涙が出た詩。↓ 

神よ わが子が自分の道を歩めるように 
わたしが歩みたいと望んだ道を子どもに強いることがないように 
神よ 力を与えてください。 

わたしにできなかったことを子どもに強いて 苦しめることがないように 
神よ わたしを守ってください。 

わが子が歩みゆく遥かかなたを見据えて 
今のわが子の過ちを見守らせてください。 
ゆっくりと成長するわが子の姿を 
優しい心で見つめることができますように。 

些細ないたずらに微笑みかける時と 
悪しき行いを毅然とたしなめる時 
その二つの時を見分ける英知を与えてください。 

わが子の怒り狂うことばや 押し黙る孤独な姿に 
悩み苦しむ子どもの叫びを聴き取ることができますように。 

そして 深い淵を越え 子どもに歩み寄り 理解しあう事ができるよう 
わたしに力を与えてください。 

できないことに目を留めていらだち 怒りの声を上げるのではなく 
わが子が上手にできたことに目を向けて 
喜びのことばで褒めることができるよう 
わたしを導き、力を与えてください。 

わたしが心からわが子を大切にすることによって 
子どもも、心から人を大切にすることができますように。 

わが子が力強く自分の道を歩めるように わたしは子どもを送り出したい。 
神よ どうかわたしに その勇気を与えてください。(マリオン・B・ダーフィー 「父母の祈り」) 

以前、ダーフィの『親の祈り』というのを紹介した事があるが、http://blog.livedoor.jp/s_sofia1317/archives/50715307.html こちらは、同じダーフィでも『父母の祈り』。 

自分ではどうする事もできない限界との闘い。 
今、結構つらいよ、母親業。 
でもやっぱり「育児」は「育自」なんだね。