ITAMAのクリスマス | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

昨日2011年度、ITAMAの最後の授業があったので、1時間繰り上げて、生徒・スタッフ全員でささやかなお祝いをした。 

とはいえ、生徒の半分以上は、ブルカをかぶったイスラム教徒。生徒の日本人はもちろん、スタッフのイタリア人も、洗礼は受けているとしても、教会に通う人たちは、ほとんどおらず。それがイタリアの現状なのかもしれない。 

というわけで、宗教色はださないクリスマス会だった。 

画像は、初級クラスで作ったクリスマス・ツリー。アルファベットから学ぶ人たちも多い。各自、Desiderio(願い)を書いて、デコレーション。

昨年は、パン・ドーロとパネットーネだけだったが、今年は生徒達の持 ち寄りでテーブルがいっぱい。早いうちに写真を撮っておけばよかったのだが、気付いたときは、テーブルの前は人だかり。とてもじゃないが、割り込めず。 

地域の公立の学校だとアラブ人たちは、他の保護者に混ざって参加することも少ないが、ここでは、多くの人たちが手作りのケーキや食べ物を作ってきてくれた。皆と分かち合おうという気持ちが充分に伝わった。「Sushiはある?」と聞かれたが、私は、昨年のフェスタを想像していたので、何ももっていかなかったし、日本のものは、「柿ピー」のみ。とはいえ、イタリア人のスタッフには受けていたようだが。笑 

アラブ人が作った一品で美味しかったのは、名前を聞くのを忘れてしまったが、ショート・パスタとお米が入っており(焼きそば飯のようなもの?)、いろいろな香草が混ぜられている料理。 人によっては、レンズ豆を入れている人がいたが、私は結構好きかも。彼らは、金曜日の礼拝の後に食べたり、お祝い事の日に食べるのだそうだ。 


昨年よりも、狭い教室で、しかも昨年よりも増えた生徒。以前からいたエジプト人生徒や、長女の中学で一緒だったフィリピン人のママなどは、一緒に写真を撮ろう!とか近況報告をしに来てくれた。画像は、Facebookに載せるから、友達になってね!などと非常に人懐こい。 

クリスマスといって、すぐにイメージするのは「喜び」と「平和」。 
国籍、文化、宗教を超えて、こうやって分かち合えるのは非常に嬉しい。もちろん、そういった喜びや平和も痛み無しでは、味わう事ができない事だろう。お互い海外にいて、人種 差別や言葉の壁、生活の不安など、いろんな問題をお互い抱えている事だと思う。 

ところで、キリストを救世主と認めない宗教間での争いでは考えられない事であるが、かつては、「クリスマス休戦」といって、12月25日は、戦争も「お休み」をした事があったそうだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%9C%E6%88%A6 

この事実は、クリスマスの精神が、許し、和解、平和であることを示しているのだと思う。 

かつて京都で開かれた世界宗教者平和会議に出席したアーノルド・トインビーの言葉に、「人類は、その成員の一人ひとりが、他の一人ひとりと平和に暮らしているのでなければ平和とは言えない。平和の源泉、ないしは戦争の源泉は、人間一人ひとりの内面生活なのである。人類の運命は、我々の内面での、自己中心性克服の闘争にかかっている」とある。 

自己中心性克服・・・エゴイズムの克服、自分さえ良ければいいという考え方に打ち克って、「他を思いやる心」を育てることが、平和をつくるために必要なのでしょう。 

自分のわがままを抑え、他人に優しくしながら、喜びをもってクリスマスを迎えたいと思う。