聖書では、キリストが生まれた頃、その地域で大きな国勢調査が行われていたという。(これは、歴史的事実)皆、それぞれの故郷に戻って登録しなければならないのだが、キリストの家族も同様だった。マリアとヨセフはヨセフの故郷のベツレヘムに戻ったが、マリアは妊娠していた。が、泊まる場所が見つからず、陣痛が始まってしまい、そこにあった馬小屋に泊まった。この馬小屋でキリストが生まれた。天使は近くにいた羊飼いにキリストの誕生を告げ、また彗星が救世主誕生を知らせたという。この彗星を見て、東方の三博士が神様の息子に会いに来る・・・というのは、1月7日のエピファ二アなのだが、今現在のプレセピオは、明確にいうと、ジェスー・バンビーノはおらず、24日の夜に加えられ、そして上記東方の三博士は1月7日に加わり、拝みにくる人たちも徐々に増えてくる・・・という面白い飾りつけ。
プレセピオ自体の歴史は、1223年に、アッシジのフランチェスコが、いまだかつて世界で見られたことのない、類まれな仕方で、主の降誕を祝おうと思いたったことがはじめだという。イタリア、グレッチオの町の向こうには、うっそうとした森に覆われた岩山がある。聖人は、そこの岩穴に藁を一杯つめたかいば桶をしつらえ、牛とロバを引いて来て、ベツレヘムのあの聖なる夜を再現した。
その後、1600年頃までは、祭壇の上や脇にかいば桶がおかれ、本物の赤ちゃんが寝かされたとか。14世紀頃、実際に使われたかいば桶が今でも残っている。時が経つにつれて、このかいば桶の周囲には、マリアとヨセフ、天使や羊飼い、動物などがおかれるようになった。そしてフランシスコ会士たちが勧めるままに、家庭にも馬小屋を飾る習慣がひろまっていったという。
馬小屋が表すのは、2000年前の歴史的事実ではなく、待ち望んでいた救世主・メシア到来の知らせ、神の平和の訪れを告げる福音である。馬小屋を作る人たちは、その福音が今生きている自分たちのもの、自分たちの家庭のもの、村のものとなるように努力してきたという。しかし19世紀になると、馬小屋はロマンチシズムという時代の風潮の影響を受けて、東方の風物や、歴史的な事実のみを写し出すようになってしまった。馬小屋本来の意味が薄れて、クリスマスの秘儀を伝える事は忘れてしまったのである。こんな馬小屋からは、慰めも励ましも得られないのではないか?という反省から、いろいろな所でアッシジのフランチェスコの本来の意図を汲み取ろうとする努力が重ねられている。家庭や、種々の集会で聖書を読み、今日の私たちへの福音とは何かを黙想し、分かち合い、原点に立ち返って、新しい馬小屋を作ろうとする人たちがいるそうな。
まだ、一度も行った事が、ないが、近所のフランチェスコ会のお御堂にも毎年テーマが決められ、立派なプレセピオが飾られるという。今度こそ、子供達を連れて観にいくつもりなので、レポートしよう。
さて、今日は早くも、在ミラノカトリック日本人会のクリスマス会が行われた。こちらは子供達と一緒に作ったプレセピオ。



そして、ミサの後に、先日紹介した福島の子供達を救うプロジェクトにも参加。

メリー・クリスマス!クリスマスおめでとう!
神様はともにおられる。
今年こそは、深い喜びをかみしめたいもの。