気が付いたら、すでに12月も既に半ばを過ぎてしまった。毎年、時のたつのを早く思うが、今年ほど早く感じる年はない。私の時計は人より早く進むのか、それと、一週間が2,3日おきにやってくるのか、と感じてしまうほど。笑
とはいえ、年の瀬の「瀬」という意味を広辞苑で調べると、①川などの浅くて徒歩で渡れるところ。浅瀬。②水流の急なところ。はやせ。3ァ・ことに出会うとき。折・場合。ィ・その場所。立場。ゥ・点。ふし。とある。
たしかに、「年の瀬」は節目でもあるだろう。そして、「瀬」という時は「さんずい」に「頼る」とも書くが、人生の「浅瀬」や「早瀬」を瀬踏みし、揺るぎない人生設計を確立する時とも言えるのだろうか。
毎年、この時期には一年を振り返る。感謝と反省を持って、新たな年に願いをかける。
聖パオロの言葉に「愚かなものとしてではなく、賢いものとして、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。」 (エフェソ 5・15~16)とある。つまり、チャンスを生かせ、ということなのでしょう。
“人生が二度あればなどと考えるのはよそう。今の人生を精一杯生きられない者が二度目の人生などいきられるはずがあるだろうか”星野 富弘 説得力のある言葉である。
子供が大きくなるにつれ、そして自分も年齢を重ねるにつれ、したいけれど出来ない、やりたくないけれど、やらねばならないことがだんだん増えてくる。これから、ある事を託されている。はっきりいって、緊張と責任の重さに気が重い。どうしようかと、迷いに迷ったが、イヤだなと思った時こそ、神さまがいらっしゃる。だからそれを恵みだと信じて受け入れ、やってみよう、と決心した。そして、必ずその中に喜びを見出すチャンスが隠されているのだと。
ただ老いるだけの日々は過ごしたくない。ただ働くだけの日々もごめんである。生活の随所に愛をこめ、意味を見出し、自分にしか作れない人生をおくりたい。来年も私だけの人生続行である。