長男の誕生日 ~ 私が願うのは | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日は長男の12歳の誕生日だった。 
ここ10日ほどいろいろとあって、誕生日のお祝いはしても、プレゼントはあげなかった。多分屈辱の12歳として一生忘れられない事であろう。 

私としても、葛藤の日々だった。親としてどうあるべきか、情けなくなって涙さえでた。でもさまざまな困難・試練は自分から、そして子供から避けてください、と願うようよりも、それらの試練に耐え、乗り越えてゆく力を願いたい。 


『私が願うのは』 

私が願うのは 
危険から護られることではなく 
危険のさなかで恐れないことです 

哀しみのどん底 
心のはげしい痛みの中で 
慰めてもらうことではなく 
哀しみを克服し 
勝利をうたうことなのです  

逃げ場がなくなった時も 
勇気を失わさせないでください 
世間的にも大失敗し 
挫折の連続に遭っている時も 
その害が取り返しのつかないものだと 
考えない恵みをいただきたいのです  

あなたが来て私を救ってくださる……… 

これを私は願っていません 

私が願うのは 
のり超えてゆく力です  

あなたは私の荷を軽くしたり 
慰めてくださらないで結構です 

ただ 私が重荷を担う 
その力をお与えください  

喜びの日に 謙虚に頭を垂れ 
私はあなたを思い 
あなたの存在を認めます  

暗い悲しい夜 
失意以外、何もない夜にも 
ああ 決してあなたを 
疑うことがありませんように  (タゴール) 

詳細は彼の名誉にかけて、書きたくないが、私はそんな育て方はしていない!泣いて叫んだ。こんな筈じゃなかった・・・そんな思いでいっぱい。でも現実を受け入れ、彼を信頼しなければ誰が彼を支えられる!とも思う。親として凛としていなければ・・・ 

そして、聖書の言葉にあるように、・・・だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(コリント1.10:11-13)とある。 

なんと心に響く言葉でしょうか。子育ては時として、本当につらい。想像以上につらい。自分の中に無条件の愛なんてあるのだろうか。それでも倒れても倒れても、『ごめんなさい』といいながら、立ち上がっていく力が必要。私も回りも皆弱い人間なんだと。お互いに支えあっていかなくてはいけない。厳しさの中にも優しさをもち、謙虚に生きていけますように。