子供が約束を破ったとき | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

公園で、「久々ねー、どうしたの?」「プ二ツィオーネだったのよ。」というような母親同士の会話をよく耳にする。子供が学校で、または家庭で何か悪い事をし、プ二ツィオーネ、いわゆる罰として公園あそび一週間なし、とか数日DSなし、Wiiなし、なんてことがイタリア人家庭の間ではよく聞かれる。 

まあ、約束事、決まりを破れば、はじめは注意さえすればいいことでも、それが度重なれば罰も仕方ないだろう。我が家も、学校から注意ごとをいわれたり、約束事、特に時間を守らないときに、プ二ツィオーネといって、ゲームをとりあげたり、長女に関してはコンピューターの暗証番号を変えてしまうこともあるが、何日も続かないのが正直なところ。それに所詮DSをとりあげても、違うゲームを見つけて遊んだり、その分だらだらとTVを見ているのだからあまり意味はないように思われる。 

先日、公園で子供達が一緒に遊んでいた子供が急に帰ってしまった。「どうしたの?」と聞くと、母親が学校の授業で使ったノートをチェックしていて、スペルを間違えたからと言って怒ってプ二ツィオーネなんだって!と言っていた。それもちょっとかわいそうな・・・ 

ところで、子供の頃、約束事をするときは、「♪指切り、拳万、うそついたら針千本の~ます」と言って、互いに小指を曲げて、引っかけ合い、なにかの約束を確かめ合ったもの。今時の子には、なんのことだかさっぱりわからないだろうなあ。 

生活の中では、あらゆることに約束事がある。そして、今日の超多忙な生活となると、予約、契約、いろんなところに約束事があり、それなしの生活は不可欠となってきている。でもその約束や決まりというものは、人を縛り付けるものではなく、その根底にある相互信頼と信用、そして権利と義務の上に人間は互いに支え合って生きているといえるだろう。約束をよく守る人は信用されるし、そうでない人は信用されない。そういう意味では、約束には、将来性と希望があり、これを交わすには、誠実さと熟慮が求められる。 

それを子供に教えるとき、特に、子供が約束を破ったときに、しかるのか、怒るのか微妙なんだな。怒りすぎて声が震えちゃうときさえある。5秒待たなくては・・・あとから反省が常。そして、甘やかすのか優しくするのか、それも微妙。子どもの弁解や屁理屈に負けないようにしないといけない。夫は私が甘いからいけないという。そして何もかもとりあげろ、と。そうだろうか?罰は何かを取り上げるというよりも、家の仕事をもっと与える方がいいかな。または百ます計算や漢字ドリルとか。笑  

「飴と鞭」と「罪と罰」。なんか不毛な子育て・・・ 

目と手】 河野進 「母の詩」より 

こどもを 

右の目で しかるとき 
左の目に ほほえみを 

右の手で せっかんするとき 
左の手で だきよせよ         

あーまたまた考えさせられる・・・