我は草なり | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

最近、どうも気が重い。 
なぜだろう。 

たぶん、昨日の日記にも書いた通り、この9月から子供達の各学校、補習校での面談、懇談会があり、親としては、三人三様、かなりきつい事(勉強に対し)を言われ続けているからだろう。また、次男はクラスメートと遊んでいて、相手の眼鏡を壊してしまったと、長女が私の代わりに彼をお迎えに行った際、担任に注意されたといって怒っていた。相手が怪我をしなかったことは、不幸中の幸いだったが、クラスでも苦手なママ。担任をはじめ、どの親とも喧嘩をする短気な人で、逆に感情的になりすぎて泣かれたりする。憂鬱ながらも放っておくこともできず、電話をして謝った。まあ私には、ちょっと心を開いてくれる人だったので、「そんなに謝らないで。私たちは友達でいましょうよ。」といわれた。罰だったのか、全く関係ないところで、次男の眼鏡が壊れ、今日修理に出してきた。なんだかな・・・ 

そして今日、本を読んでいて心を打つ詩に出会った。 
「われは草なり」 高見 順 という人の詩。 
ちなみに、タレントでエッセイストの高見恭子は愛人との間に生まれた娘だそうで、その愛人の死の2週間前に養女として入籍 しているようだ。 

われは草なり 
伸びんとす 
伸びられるとき 
伸びんとす 
伸びられぬ日は 
伸びぬなり 
伸びられる日は 
伸びるなり 

われは草なり 
緑なり 
全身すべて 
緑なり 
毎年かわらず 
緑なり 
緑の己れに 
あきぬなり 

われは草なり 
緑なり 
緑の深きを 
願うなり 

ああ 生きる日の 
美しき 
ああ 生きる日の 
楽しさよ 
われは草なり 
生きんとす 
草のいのちを 
生きんとす 


「伸びられぬ日は 伸びぬなり。」まさにそうなんだろうな。私もどうもスランプだ。伸びられぬ日に、期待する方がいけないのかもしれない。 

「伸びられる日は 伸びるなり。」伸びるときは、のびのびと伸びるのだろう。自分自身、その人自身の現実をしっかりみつめることで、自分は自分、他人は他人、としっかり受け止められるのだろう。草である自分に対する優しさがこの詩には表現されている。 

謙虚でいること。そして、ここでまた私の生活信条の一つである「勇気」を頂いた。