衣替えをしなくちゃいけないけれど、それと同時に、引越しの為物を少なくしたい。
今の家は、次男が生まれる前に入り、予定外に一人家族が増えた。笑 この約7年の間にどれほど、物が増えたのだろう。着れなくなったもの、使わなくなったものは、すぐに人に回したり、処分してきたが、それでも物があふれている。
「かたづけが出来ないのは、家が小さいから」と長女。そういう発想をする人は、きっと家が大きくなっても同じ事だろう。
昨日屋根裏の倉庫をチェックしていたら、長男の幼稚園児のときのお絵かきがどっと出てきた。え~いっ全部紙のゴミ箱へ。本もチェックして読まないものは、ミラノの日本人会の古本 市にだしてしまおう。置物、小物、これは年末の教会のバザーへ。なんか色々ありすぎる。
昨日も子供が小さかったときの、おもちゃ類を整理した。長女の代から使っていた小さな木の椅子が屋根裏から出てきたが、もう足がぐらぐらで使えないので、今朝のごみ収集に持っていってもらおうと思い出しておいたら、今朝子供を送り出して戻ってくると、家の前で収集車待ちのAMSA(ミラノ清掃会社)の社員が待機しており、その一人が、私の出したちっちゃな椅子に座り込んでいるじゃないの!すると、そこへ家の前の病院にきていたらしき、おじいさんがやってきて、何かを話していた。収集車がやってきて、捨てるのかなあ?と思っていたら、なんとそのおじいさん、すてた椅子を貰っていき、自分の車のトランクにしまってるじゃないの!びっくりした。あれは孫行きなのだろうか・・・き っとあれはおばあさんか嫁に怒られるんじゃないかな・・・などと想像。
AMSAの大きなごみ収集所へ直接、ごみを持ち込むと(これが日時が決まっているし、一人が持ち込める数やら身分証明が必要だったり面倒!)入り口前に、ロム(ジプシー)が待機しており、持っていけそうなものはもらっていく。壊れるの時間の問題だよ、というような彼らがベビーカーを持っていったこともあったっけ。
「断捨離」
ヨガの「断業」、「捨行」、「離行」という考え方を応用、不要なモノを断ち、捨てることで、モノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れようというもの。
「守破離」という言葉が武道にあるけれど、これは、学ぶためにはまずは型を「守る」。それが基本。そこができるようになれば、自分なりに型を「破る」。そして最後は守る事にも破る事にからも無意識に「離れていく」。そふぃあ流流儀をもつということか!爆
今回は自分の中で、どうしても思いも物も生き方も整理して、出発したい思いがある。
断捨離とは、思考の片づけ。
断捨離とは、思考の仕分け。
断捨離とは、思考の発展。
・・・とあった。
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何かにつけて飽和状態になってきている感じ。「先日そふぃあさんに電話したら、カゼッラ(留守番電話サービスのスペース)がいっぱいなのでメッセージが残せませんっていわれましたよ。」といわれてしまった。あはは・・・そんなの存在していることさえ、知らず。PCもいろんな書類、画像が氾濫してきている・・・これまた整理整頓しないと。
鬼の断捨離となろう!