小学生の頃、よく担任に義務ではないが、詩の暗誦をさせられた。
教室の後の黒板に毎週詩が書かれ、覚えた人が皆の前で暗誦する。私はなぜか、高村光太郎の「道程」と壺井 繁治 の「挨拶」という詩だけは良く覚えている。その後、高校で「春はあけぼの」や「祇園精舎の鐘の音」などを暗誦した記憶があるが、一部しか覚えていない。いずれにしても、日本語が体に一部に埋め込んであるとでも言おうか。これは宝だと思う。
最近、日本の小学校の授業においては、暗誦や朗誦の比重は低くなってきているというが、ミラノの補習校では定期的に、朗読会は行われるので、そういうものなのかな・・・と思っていた。そういう意味じゃ、イタリアの小学校は、常に担任次第。長女は小学校1年生の頃から、毎週末、詩の暗誦が唯一宿題だった。イタリアの児童文学ではおなじみのジャン二・ロダーリはかなり一緒に覚えた。ロダーリの作品は、かなり日本語にも訳されている。http://www.giannirodari.it/
逆に、長男は暗誦の宿題などは一切無しで育った。将来的に他の兄弟と差が出るんだろうか。次男は昨年の小1から週末の宿題には、よく詩の暗誦が出てきている。
音読・暗誦というのは、読み聞かせよりもずっと国語能力をつけるに効果的であり、必要不可欠なんだそうだ。勉強が苦手な子供や落ち着きのない子供でも、大きな声で堂々と流暢に音読できるようになると、自信をもち精神的に安定してくるという。 声を発することにはストレス発散効果や精神の安定効果がある ことは間違いない。
また、教育者によると、子供たちの集中力が高まり、理解力や記憶力向上などの能力開発の効果 も現れてくるという。実際に、声を出すことによって全神経を集中させることができるので理解力が高まり、同時に自分の声を耳で聞くことができるので記憶もより確実になるということか。音読への自信は、自ら話をする力や読書力、書く力にもつながってくるはず。
2週間前、次男のクラスでは週末、詩の暗誦が宿題だった。が、私が忙しすぎて、一緒にはしていなかったら、案の定、100%暗記ができていなかったという。まあ、ほとんどのクラスの子がそうだったらしいが、再び先週末もその宿題。しかし、やはりきちんと覚えていないといわれ、担任から連絡をもらった。教科書を持ち返させたので、要チェックとのことだったが、肝心な教科書を忘れて帰宅。慌てて、クラスメートの家に電話すると、そちらの母親も同じ事を言っていた。担任が生徒達には、教科書を返していなかったらしい。仕方なく、担任に「かくかくしかぢかの理由で、暗記ができず・・・」とメッセージを書くと、「本人の自覚に任せるべきだけれど、もう一度自宅で暗誦させてください 。」との事だったが、再び教科書が見つからず・・・。すぐに、下校時、担任を追いかけ話すと、教室には入れないので、これを使ってください。と他の生徒の教科書を貸してくれた。
昨夜、夕食前に、詩の暗誦を一緒にしていると、上記クラスメートの母親から電話がかかってきた。「今日も息子が詩の暗誦をするように言われたのだけれど、教科書を忘れ、私も詩の内容を覚えていないので教えてくれる?ということだった。」あ~どこも同じなんだね~。笑
一人で暗誦・朗誦に励むのもなかなか味わいのあることだけれど、それはある一定の年齢にならないと出来ないものだろう。親子や友人同士などでやると一層明るく楽しくできるかもしれない。とはいえ、本人にやる気がないと、なかなか頭に入ってくれず、たまらないんだけどね。意欲の乏しい子供や勉強が苦手な子供には、音読はとりわけ効果的なんだそうだ。親も根気強くいなきゃだめだね。
http://www.kisogakuryoku.net/Mado_04.htm
挨拶 壺井 繁治
手は大きく
節くれだっているほどよい
そんな手と握手するとき
嘘はいえない
それはまっ正直に働いてきた者の
まっ正直な挨拶だからだ
しっかりやろうぜ,今年も!
僕の手と君の手とは
互に固く握りしめながら
この言葉をかわす
それはありきたりの言葉かも知れぬが
嘘いつわりのないこころからの挨拶だ