毎朝、朝顔が満開である。
毎日いくつ開花したか数えて、Mixiのつぶやきを覚書のように使用しているが、それでも毎回「いいね」を押してくださる事がいて、一緒に花の開花を喜んでくれているようで嬉しい限り。

若い頃は「花の人生」を夢見てきた。あでやかに、華やかに自分の20歳代を奔放に生きたいと。でも実際は、仕事、仕事で地味だったかな・・・それでも今のように、合間を見ては、ジムに語学学校やらお料理教室、ボランティア・・・などをやっていた。料理、ボランティアに関しては、仕事の関係上もあったので断れず・・・それでも何でも楽しんでしまう方なので、結局はそれはそれで生活の一部でもありすべて良し、だった。
でも, 傍 から見れば、今も落ち着きのない人生に見えるかもしれないが(笑)、華やかな人生というよりも、「一輪の花」として咲きたいといつしか思うようになった。
大輪の一目を引く花でなくてもいい。心惹かれるような健気な花でいたい。まさに「世界に一つだけの花」である。
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ところで、先日、「置かれた場所で花を咲かせなさい」という神父の言葉が気になり調べてみたら、作者不明のこの詩を発見した。
神が置いてくださったところで咲きなさい。
仕方ないとあきらめてではなく、「咲く」のです。
「咲く」ということは、 自分がしあわせに生き、
他人もしあわせにすることです。
「咲く」ということは、周囲の人々に、あなたの笑顔が
私はしあわせなのだということを、示して生きることなのです。
神がここに置いてくださった。それは素晴らしいことであり、
ありがたいことだと、あなたの体すべてが、語っていることなのです。
神が置いてくださったところで咲きなさい。
ちなみに「Bloom Where You Are Planted!」という言葉は、ヒラリー・クリントンも大統領戦の時にも、引用していた。
人間も一人ひとり花と一緒。華やかな花、地味な花。大きな花に、小さな花・・・と様々。花の使命は咲くこと。あそこで、咲きたかった。あそこだったら咲けたのに・・・と思えることもあるだろう。でももしかしたら、植え替えられることだってあるわけだし、他の花と比べて優劣を競うことなく、自分にしか咲かせられない花を一番美しく咲かせられたら幸せなんじゃないかな。
朝顔は、薔薇にはなれないし、薔薇も朝顔にはなれない。思うままにならない人生を自分なりにありがたく受け止めて生きる、そんな謙虚さを花から毎日学んでいるような気がする。
