人生の履歴書 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先週友人のご主人(イタリア人)のお母様が亡くなられた。
たしか70歳代だったと思ったけれど、慢性白血病だったという。

発症というよりは、発覚したのは7月末。
友人は共働きなので、6月学校が終了と同時に子供達をおばあちゃんに預けていたという。 病気がわかり、気落ちはしたものの、入院していたわけでもなく、薬を飲みながらも普通に暮らしていたのだという。孫に囲まれ、8月には親戚で北イタリアの山に家を借り、一緒にわいわい過ごしたんだそうな。

それが、9月に入り、そろそろ孫達も学校が始まるというので、ミラノに戻っていったら、急に調子が悪くなったという。余命2ヶ月、といわれたそうだが、まだ学校が始まる直前だったので、おばあちゃんに会いにいくと「花が見える。赤と白の・・・」というんだそうな。「亡くなったおばさんも、亡くなる前に赤と白の花が見えたといっていたけれど、これだったのだろうか・・・」と意味深なことをおっしゃったという。

そして、その後急激に悪くなり、信仰深い方でもあったので、近所の教会の神父を呼んだという。「病者の塗油」といって、事故や老衰を含む病気で生命が危うくなった信者を助け、強める秘跡の一つで、罪の罰が減らされ、病苦を耐え忍ぶ力が与えられるという。もちろん、この秘跡を受け、一応危険な状態を脱しても、再び危うくなれば又受けることができる。

その夜、おばあさんは、まるで神様と質疑応答しているかのごとく、「スィー、シリョーレ、ノー・・・」などと一人で寝言を言っていたという。最後の審判か?!そして、翌朝、家族に付き添われ、トイレを済まし、再びベッドに横になったが、様子が変わり病院に運ばれ、そのまま息をひきとられたという。

友人は「悲しい」といっていたけれど、確かに身近な大切な人がなくなれば、心に穴が開いたようになってしまうだろう。でも、その人が長く患っていたり、ぼけてしまっていたり、または痛がったり、苦しんでいたならまだしも、最後の2ヶ月家族と濃厚な時間を過ごせたということは幸せな事だったんじゃないの?と言ってあげた。一緒にいたお孫さんは5歳と6歳。上のお子さんは我が家の次男と4ヶ月しかかわらない。お葬式のときに泣いていたというが、きっとこのおばあちゃんと一緒だった2ヶ月の事は、一生忘れられない出来事だと思う。

人の一生は、波風のなかった人生がいい人生だった、挫折がなかったからいい人生だったということではないだろう。

就職するときの履歴書のように、自分との闘い、自分の一生の中で思うままにならない事、嫌な事、つらい事・・・そんなことをどのように受け止め、そして乗り越えたか、しかも笑顔で乗り越え、どう成長したか・・・という人生の「苦歴」という欄があってもいいんじゃないだろうか。しかも誰にも知られていない事が書かれているかもしれない。

いい人生とは、苦労のなかった人生とか嬉しい事が多かった人生というのではなく、自分が遭遇した一つひとつのことを、自分らしく受け止め、自分にしか付けられなかった足跡をつけた生き方を言うのかもしれない。刺繍のように。美しい刺繍ほど、裏の作業は細かく、複雑になっている。その作業を人に見せずに、美しい作品だけを額にいれてみてみる・・・。

人の死を思い、自分の人生の履歴書にどういった事柄を書けるか、ちょっと考えてみた。