3年前、帰国中に私が生まれた町を、母と子供たちとで見に行った。あーここが私の原点なのだと。
私が育った、東京の下町は、ミニチュアの町のように、狭いところに、たっくさん家が寄り添って建っていた。子供の頃には、大きく見えた通りも狭く、また急に見えた坂も、実際歩いてみるとかなりなだらかだったりして、子供の時の視点と現在の視点がずいぶんと違っていた事を発見した。
さて、今回は、私のイタリア生活での原点を見てきた。在伊18年の間に妻となり、母となり、人生でも大きなステップとなったローマ時代を振り返り、また新たに人生を見つめなおすよい旅行だった。(ただ、なつかしの味再確認ツアーだけじゃなくってね。)
昨日の日記にも書いたけれど、ローマ滞在7年の間に4軒アパートを変わったが、どのアパートの近所にもよい人間関係はあった。それでも、子供が出来るまでは、時間に余裕がありすぎて、今のようにPCも無かったので、時間があれば手紙ばかり書いていた。
でなければ、サン・ピエトロ寺院もヴァチカン美術館も列になったり、予約も必要じゃなかったので、語学学校の友達と夕方ふらっと行く事もあった。(確か平日のいつだったか、最後の1-2時間が無料だったような・・・)テベレ川の川べりを歩いたり、町の遺跡を廻ったり・・・
さて、今回は、私のイタリア生活での原点を見てきた。在伊18年の間に妻となり、母となり、人生でも大きなステップとなったローマ時代を振り返り、また新たに人生を見つめなおすよい旅行だった。(ただ、なつかしの味再確認ツアーだけじゃなくってね。)
昨日の日記にも書いたけれど、ローマ滞在7年の間に4軒アパートを変わったが、どのアパートの近所にもよい人間関係はあった。それでも、子供が出来るまでは、時間に余裕がありすぎて、今のようにPCも無かったので、時間があれば手紙ばかり書いていた。
でなければ、サン・ピエトロ寺院もヴァチカン美術館も列になったり、予約も必要じゃなかったので、語学学校の友達と夕方ふらっと行く事もあった。(確か平日のいつだったか、最後の1-2時間が無料だったような・・・)テベレ川の川べりを歩いたり、町の遺跡を廻ったり・・・
今回宿泊したホテルのオーナーは、18年来の友人。宿泊中、2度一緒に朝食を共にした。私と同い年。彼女は早くに子供を出産しているので、上のお子さんは既に22歳。彼女の後継者としてホテル経営に加わり始めている。今回の滞在では、至れり尽くせりだった。持つべきものは友。感謝、感謝である。http://
それにしてもローマは、永遠の都。古代からの時間と空間が濃密に積み重なり、バーチャル的な世界へと誘われる。塩野七生女史の本を読んでは、登場人物の歩いた通りを歩き、空をみて、想像にふけるのが好きだった。
かと思えば、前回登場のKちゃんの家に入り浸っていた。彼女と夫の会社は、サンタ・マリア・マッジョーレ教会を挟んで、10分くらいのところにあったので、オペラ座~SMMは庭のようだった。ローマ旅行の最後には、今まで住んだアパートを見に行く事は出来なかったけれど、Kちゃんがいたアパートまでは時間が許されたので、歩いてみた。そうそう、ここの切り売りピッツァ食べたな・・・ここの化粧品屋さんには、おしゃべりするのに、よく立寄ったな、ここで怪しい食材(アジアンショップ)買ったっけ、などなどなど・・・。 思い出の場所へ行くとその時の気持ちも蘇ってくるし、今の自分を見つめ直す事もできる。ただ、一つ大きな違いは、当時はまだカトリック信者ではなかったので、ミラノへ移る1,2年前くらいから、月一回の日本人ミサに顔を出す事はあっても、普段のミサに預かる事は無かった。それが今回、SMMで3回ミサに預かった。こんな時期の平日なのに、すごい会衆だった。観光客よりも、やはり地元の人で混み合っていた。ミラノでありえる?!金曜日の夕方は、8人の聖職者が聖体拝領を授けていたが、私の番が廻ってきたときは、聖体自体がすでに半分に割られるほど、数が足りなかった様子。平和の挨拶(握手)はミラノでの、力の入っていない握手よりもずっと堅く、強く感じられた。
ローマの風光は飽くまで美しく、そしてその歴史はとりわけ奥深く、人間は複雑微妙。そこにいると、その良さが分かりづらい。幸せと同じか?『足るを知る』か。
足るを知るとは、言い換えるなら、あきらめるということでもあるだろう。けれど「あきらめる」は、単に「断念する」ことではない。世界と自分自身をしっかりと見つめて、本当に大切なものとそれほど必要ではないもの、自分に合っているものと合っていないもの、努力すればなんとかなることと努力してもどうにもならないこととを見極めていく。そのうえで、断念すべきことは潔く思い切り、自分なりの目標や夢に向かっていく。そういう広い意味での「あきらめ力」を磨くことが、幸せな人生につながっていくのだと思う。(加賀 乙彦氏の「不幸な国の幸福論」の一説の受け売りですが・・・)
建物を建てる時に、まず第一に基礎を作らなければならない。しっかりした基礎がなければ建物は倒れるように、私たちの人生もその点では建物と同じだと思う。私のイタリアでの人生の基礎、つまり原点はこのローマとなるんだろうな。そして、子供たちの場合の原点は、イタリアになるわけで・・・とにかく、人間は一人では生きていけない。「持つべきものは友」。人間関係の大切さ、と世界を繋ぐ『自分』の礎をしっかり持ってもらいたいものだと思う旅行であった。


