水の日 パートII 潤い | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

水という言葉から連想するものを考えてみた。
・・・水泳、噴水、香水、水鉄砲、行水・・・

そこで、ふと長女の生まれた15年前の夏は暑かったな・・・と思い出した。5月に生まれ、生後3ヶ月前後。妊娠前に、私自身の体の婦人科系の問題で、当時住んでいたローマでは、本がかけるほど、色々な嫌な経験をしていたので、絶対イタリアでは出産をしたくなくって一時帰国。出産したついでに、大学病院で予防接種外来で娘の当分のワクチンのプログラムを組んでもらい、それをこなすためしばらく実家に滞在していた。

話は基、左手の手のひらに、彼女の頭を、そして腕の内側に彼女の背中をのせ、たらいのお湯に入れ、右手で手ぬぐいをぬらしながら、優しく顔や頭をぬらしてあげると気持ちよさそうにしていたな・・・という光景を思い出す。長男や次男は冬生まれなので、行水をする頃には、もう少し大きくなっていた。ちなみに長男が生まれる直前の夏も暑かった。96年、99年のワインの出来は凄く良かった事を記憶している。

私の実家は山の上にあり、近くの駅に行くには、いわゆる「山道」と呼ばれる道を通り抜けるのが一番の近道。雨が降る山には風情があった。緑が雨の粒で輝き、また土に雨がしみこんでいくような、匂い。命の源を感じさせるものがあった。

そう思うと、水資源を支えているのは、森林であり、川であることを思い出す。数年前、フランスのevianに行ったとき、水の博物館に行った。フランスの水が有名なのは、まだまだ森と川があるから。(Evian、Vichy、Thonon, Aix les Bains...どれも場所の名前)

「この川の流れるところでは全てのものが生きている。」

そう、世界の文明の発祥地はすべて川があり肥沃な土地があった。
肥沃な土は、少し湿っている。土も心も乾いていると, 出るはずの芽さえ出てこない。

今の時代、肌の潤いばかり注目されるが、心の潤いは忘れられがち。潤いというのは、物事に余裕をもつことなんじゃないだろうか。車や機械にも、遊びがあるという言い方のように、操作に幅を持たすことがある。そして、心にも「余裕」と「遊び」が必要。

百点満点でない自分と他人の生き方に、自然な人間性を見いだしつつ、しかし謙虚に生きるって大切なんじゃないだろうか。余裕と遊びのある人は、顔の表情まで自然と優しく、生き生きとしている。

私は苦手な人にあうと、どうしてもかたくなになりがちで、余計なおべんちゃらをいう必要はないけれど(いや、もともと言えない性質)、思わず「あなたは受け入れられません」モードのがちがち顔になってしまう。相手を好きになる必要はなくても、もうちょっと大人になろうよ、自分。笑顔、笑顔!と言い聞かせるのだ。そんな笑顔にも、心に潤いがないと、笑ったあとは、不自然なしわが顔と心に残る。やっぱり肌にも心にも潤いね~となんとか「水の日」に取り纏め。笑