先週から野球のキャンプ(サマースクール)が始まった。日本人は我が家だけ。やはり長男と次男は、髪の毛は私が切っているということもあるが、雰囲気が似ているので、誰もが彼らは兄弟とわかる。特に、長男は、そこに来ているメンバーをほとんど知っているので、逆に向こうも次男のことは知っているが、距離感が今まであった。次男は3番目のわりに引っ込み思案で、常にお兄ちゃんにくっついて歩いているので、今回、皆に「ミニY」とか「ピッコロY」とよばれるのだが、思い切り不満を抱いている。「僕は僕なのに。Dなんだよ!」腕を組んで、頬を膨らませて怒る。
それでいながら、オラトリオで、「Yの弟?なんていう名前?」と聞かれ、その後しょっちゅう大きな子達に声をかけられる様になるとまんざらでもない感じ。長女の中学時代のフルートの先生が、次男の小学校にリコーダーを教えに来ているのだが、「Mみたいにブラーヴォになるよ!」といわれれば、これまた得意顔。「僕お姉ちゃんよりうまくなる!」
ところで、私には、2つ年下の弟が一人いるが、あまり学校での彼の存在(中学まで一緒)を気にしたことがないし、ましてや対抗意識なんて持ったことない。うちの子供達なんて、もっと年の間隔があるのに、どうしてそんなに対抗意識をもつのだろう。
確かに子供はどの子も、他の兄弟たちと少しずつ違った環境の中へ生まれ出てくる。なかでも初めての子供は特別なんだろうな。
最初の子供の誕生は、両親にとって初めての経験であり、特に、それが男の子だったりすると、他の子供の場合と違って、本能的に自分達の跡継ぎといった気持ちでその子を見てしまうのだろうか?
そして、そのうち2番目、3番目…の子供が生まれると、様子は変わる。最初の子供は、両親から一身に受けていた愛情を、突然、弟か妹と分け合わねばならないことに気付く。これは多分ショックだろうな。私の子供の時は、少なくとも数年の間は、一緒に住んでいる祖父母がいた。でも、我が家の場合、夫が駐在員でいい生活をしていたのは、長女一人。そのうち長男が生まれると、夫は脱サラ、ミラノーローマ間の単身生活。私だって、乳飲み子連れてローマ郊外の生活、友達なんて数えるしかいなかったし、運転もしない。羊の群れや沈む太陽を見て、何度涙したことか。
話はそれたが、旧約聖書の中にもいくつか、兄弟の話が出てくる。有名なのは「カインとアベル」。双子の彼らは、兄カインがねたみのために弟アベルを殺すという痛ましい事件である。人間の罪深さを感じる。また、ヤコブという人が母親の入れ知恵で父親をだまし、兄が受けるはずだった相続権を横取りするというのもある。そのヤコブが親になったとき、息子たちはねたみにかられて自分たちの末の弟ヨセフを殺そうとする。さすがに長男がそれには反対したが、結局、旅の商人に売り飛ばされてしまうという話…。
同じ親から生まれた者同志が、うまくいかず、争うことがあるということは、親としては非常に悲しい。所詮、夫婦は他人同士だから、うまくいかないことも多い。しかも、死をもわかつまで、互いに愛し合うという誓いを立て、結婚しても、溝ができれば、細かいお金に至るまで争う様になる悲惨な状況の友人、知人が今周りにいる。早いうちから溝を埋められなかったものなのかしらね…気の毒でたまらない。
それでも、兄弟姉妹は、同じ親の命を分かち合う間柄だから、最後には和解し、心を通わせることができるはずだし、それが望ましいのだけれど。
昔、「人類皆兄弟」という言葉が流行った。皆がそういう思いでいられれば、戦争も争いごともないというのは、夢の果て?!
今日、次男を連れて友人の家に行くと、「お姉ちゃん、お兄ちゃんと仲良くしてる?」と聞かれていた。すると、「いつもみんな、僕と遊んでくれない。だから邪魔してやるんだ」と言っていた。「邪魔するから、嫌がられるんじゃないの?」と友人。「違うよ。僕が、皆と一緒に遊べないから、あっち行けというし、だから邪魔してやるんだ」と聞かない。「じゃあ、邪魔するのやめてみたら?きっと遊んでくれる様になると思うし、少し我慢強く続けることも大切よ」と言われると、黙っていた。という友人の子供は17歳と14歳のベルギー人とフランス人のハーフだけれど、今だにつばを引っ掛けあうようなすごい喧嘩をしている!!たとえ、親の理想があっても、どこも似たり寄ったりなんだな…笑
今朝、次男は体調が悪く、キャンプに行けなかったが、明日は行くという。新しい子達も来ていたと、聞くと、「新しい子達にあったら、僕はYの弟とは言わないんだ。ミニYって言われたくないから…」ぼそっと言っていた。
血のつながりを大切にしながらもそれを超えて、地球規模の兄弟関係を築けることを望んで。