今日は、「母の日」。日頃の母の苦労を労わり、感謝する日。
子供の頃、小学校で、この日が近づくと、学校で買わされたんだか、どうだったのか詳細は記憶に無いが、赤いカーネーションを配られた記憶がある。そして、母親のいない人は白いカーネーション。「へー、あの子、お母さんいないんだ。」子供心に、それが当たり前だと思っていたけれど、そうでない人もいたんだ!と知り、驚いた記憶が…。
でも、今思うと、それってすごい差別だったのだと思う。理由はともかく、童心を傷つけ、義母に育てられている人は、どちらを選ぶべきが悩んでしまったはず。
一方、こちらイタリアでは、「母の日」は、"Festa della Mamma"といい、ピンクのバラを母親に送り、すでに亡くなった母親には、白いバラを墓地に飾ると言う。また、小学校では、母に感謝する詩を暗唱したり、地域によっては、お祭りなどもある。
有名な話だけれど、イタリア人、とくにイタリア人男性にとって、母親、マンマの存在は大きい。マンマの料理は世界で一番!と豪語する人も多いし、いくつになっても、散髪はマンマ。といっては、定期的に、マンマのところに行って髪の毛を切ってもらっている友人もいる。
十億の人に十億の母あらむも
わが母にまさる母あらなむや
まさにそうなのだろう。
自分が、母になり、しかも異国にいる事で、両親と会う事は少ないが、両親には感謝している。とくに、母には、、私が、子供にしているように、がみがみ・キャンキャンいわれた記憶はない。(私が、自律していたということか…爆)
とはいえ、両親がまだ健在なので、どこかに安心感がありつつも、いつかは離れれてしまうという、不安感も常にある。
Loneliness is for loving…淋しさは、愛するためにあるのだろうか。
いずれにしても、子供との一体化、相手の心や世界を知り尽くしたい「愛」もいずれは、相手の世界を許し、徐々に、別人格同士の間に生じる心理的・物理的距離を認め、それに、耐えなくてはならない「愛」に変わってくるだろう。私は、両親には信頼されていると思う。その「信頼感」が埋めてくれる「愛」というものもあるような気がする。
愛にも成長があるということか。
お母さん、ありがとう。
私もまだまだ成長してます。
「母の日」と「カーネーション」の由来はこちら
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0722.htm
http://www.hirohouse.com/hahanohi-amerika.htm