チャリティ・コンサートも無事終了 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

私が首を突っ込んでしまっていた2つのチャリティ・コンサートも無事終了。
やっと一息ついたところ。

まずは4月10日の「ぞうのババール」コンサート。
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天気もよく・・・その天気が難だった!
真夏のような暑さで、ノースリーブでもまったく問題なかった午後3時。しかし、テアトロは教会の地下で、普段は締め切っており、ワインのカンティーナ状態。はじめは「涼し~い」と思っても、数分たつと、ぶるぶる震えだす。コンサートの途中に何度人が出たり入ったりしたことか。それだけが計算外だった気がする。

ぞうのババールは友人s子さんのご主人による演奏。そして、その後はS子さんご夫妻による連弾で、印象派の音楽が続き、夫婦ならではの、呼吸そして世界が展開された。個人的には、その数曲を昨年長女がオーケストラで演奏したものだったので、非常に親しみ深かった。そして、子供たちのコーラス。何度聞いても歌詞がジーンと心に響く。「♪生きている不思議 死んでいく不思議。花も風も街も みんなおなじ」すごい悟りのような気がする。$ミラノの日常 第2弾
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どれだけの人数を導入できたか、数えるのを忘れてしまったが、準備した300冊のパンフレットは少なくとも、子供にだけは一部ずつ渡したかったが、実際には一家に一部だった様子。2部にわけたコンサートは両方合わせたら、300人弱の導入だったのではないかと想像する。おかげ様で1,507.49ユーロ義捐金を集め、翌日PIME(ミラノ外国宣教会)を通じてカリタス・ジャパンへ寄付。確実に、そして有効に使っていただきたいもの。

そして、昨日16日のPIME(ミラノ外国宣教会)でのコンサート。
PIME側のオーガナイザーが個人的に、音楽の合間に剣道?居合道?なにかとあっと驚くものを組み入れたい様子であったが、そうなると音楽自体のプログラミングにも支障が出てくるといい、なかなか実際にどうなったのか?状況が見極められず、かなり時間と苦労がかかった様子。

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コーラスあり。和歌あり。イタリアのアリアあり。ピアノ・ビオラやフルートによるアンサンブルあり。あっという間の1時間半だった。途中受付で、その時点までに集まっていたお金を、集計していたら、いきなりアラブ人男性が入ってきて、コンサートを観てもいいか?というので、どうぞ、どうぞ。というと、すぐに退出。その後、仲間と思しきアラブ人がばらばら計3人で来るのだが、やはり行ったり来たり・・・もしや狙われているのか?(もちろんお金です)と思い、たまたま言わせた友人男性にそのまま居残ってもらったら、「ちっ」といらだつようなリアクションをして出て行ったという。かなり怖かった。

と思えば、自分はイタリアの救急隊なのだが、日本でボランティアとして働くことは可能か?!と直接聞いてくる若者もいた。どこの宣教会だったか、在日本のイタリア宣教師にも、一応在日大使館より国外退去の連絡が入ったそうだが、「日本から日本人が一人もいなくならない限り、我々は日本から離れない」とおっしゃったという。さすが、宣教師。感動した。こちらは、1,984.79ユーロ、やはりカリタス・ジャパンへ寄付。

在外邦人は義捐金を集めるだけではなく、不必要な風評被害を防ぐことにも協力してほしい、と考えている日本人も多いのだときいた。さ~て、在外邦人は何ができるのか?和食ボイコット反対のため、みんなでお寿司でも食べに行ったほうがいいのかな?笑 その辺は非常にむずかしい。

普通に生活をしつつも、私たちは震災がもたらした現実の重さと悲しみに身動きできない人もいるのだということを忘れてはいけない。また、被災された方でないと、わからない痛みがあることを常に意識し、復興に向けた行動の原点にしないといけないんじゃないだろうか。その気持ちが何かになって派生していくことだってあり得ると思う。

昨日から「聖週間」に突入した。キリストがエルサレム入城し、受難と死を通して復活を記念する週である。人生は「闇」と「光」。つまり毎日の小さな自分への「死」と「復活」を記念する。

今年は非常に特別なパスクワ(復活祭)となりそうだ。