http://www.youtube.com/watch?v=7WgNLQQ-KNQ&feature=player_embedded
ミサは、通訳を交えながら進んでいった。(上記画像はミサの様子。なぜかうまくアップできず残念。このURLを別のフォルダーにコピペしてください)
昨日の説教は、アンブロジアーノ典礼で日本の朗読箇所とは違う。
ヨハネ4:5-15, サマリアの女。 サマリアの女は5人の男性と結婚暦があった。生活の困難だけではなく心の渇きを感じる。その困窮者である彼女がイエスとのかかわりで癒され、後イエスを述べ伝えるまでに変えられていく。
この水を飲むものは誰でもまた乾く。しかし、私が与える水を飲むものは決して乾かない。私が与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命にいたる水が湧き出る・・・ 実際には聖カルロとの話を交えての説教であったが、日本語訳は、割愛された。(そうでなくても長い朗読箇所だったので・・・)最後にヨハネの福音書を引用し、互いに愛し合うようおっしゃった。友のために自分の命をすてること、これ以上の大きな愛はないのだと。慰めと励まし、そして神の愛が乾いた心にしみいるようであった。(昨日の説教内容 http://www.chiesadimilano.it/or/ADMI/pagine/00_PORTALE/2011/omelia_giappone.pdf)
その後、共同祈願を僭越ながら、イタリア語と日本語で捧げさせていただいた。やはり「祈り」は苦しんでいる人との連帯のしるしとなる。
主よ、先日、この国を襲った大地震と津波の災害にあった多くの人々に慈しみの目を注いでください。亡くなられた人々に永遠の安息を与え、負傷者に癒しを、家・仕事・生活の場を失った多くの人を勇気付けて下さい。また今、命をかけて皆のために働いている人々の心を支え、力づけてください。
テストが壇上に置かれており、読むだけなのに、自分の書いた漢字が読めずに途中でどもりそうになってしまった。両親や友人から毎日聞く彼らの不安、そしてドウモの寒さと緊張と感動・・・すべてが入り混じっていた。
その後、平和の挨拶。日本では両手を合わせ、軽く頭をさげるだけだが、イタリアでは握手。周りの多くの方とPace a te!あなたに平和を!と挨拶をした。そのとき、モラッティ市長およびそのお付は退場。後から聞いた話によるとナポレターノ大統領がミラノ入りしていたそうだ。(今朝の新聞には、大統領とモラッティ市長が並んで、歩いている写真がたくさんあった)
ミサの最後に、大司教から日本語の挨拶と、そして日本総領事からの挨拶があった。通常のミサの倍近くの時間がかかったが計1時間半はあっという間だった。皆が心を合わせひとつになって祈れたのではないだろうか。この心の声が、被災者の方々の心に届きますように。また、献金も、今後もあちこちでチャリティとして集められていき、被災者の助けになればと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=Dcpsm6PLtDo
ミサ途中で歌われた賛美歌↑
Eccomi, eccomi! Signore io vengo.
Eccomi, eccomi! Si compia in me la tua volonta.
イタリア語で、エッコミとは、(あなたのために)私はここにいます。という意味合いが強いと思う。これは詩篇39(40)章の一説が歌詞になっているのだが、「私はここにいます。あなたの御旨(みむね)を行うことを私は望みます」という非常に信者でないと(信者であっても!)、わかりづらい内容だと思うが、つまり、各々が、神の導きにより、その生命を与えられた場で、豊かにその使命を果たせるように・・・という内容。(と理解している)。
マザー・テレサの言葉を借りれば、私たちのすることは、大海のたった一滴の水にすぎないかもしれない。でも、その一滴の水があつまってこそ大海となるのです。
そして、私たちは、すばらしいことのために創られていると信じたい。大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかが肝心。
くどいようだけれど、お亡くなられた方々のご冥福と、被災者の心の癒し、そして一日も早い復興を祈ります。
神から与えられた、使命に応えることができるよう、「愛の業」を実践し続けていきたいと思う。