いよいよ3月突入です。
新たな月を新たな気もちで始めましょう。
毎日やるべきことのノルマだけに追われて、過ごしていると、かごの中のハムスター状態になってしまい、ただ走りまくっているだけでおしまい。
先月は先月、今月は今月。
気もちを入れ替えることが大切ですね。
ところで、今日、自分用のファイルを整理していたら、
以前ミラノのアクセサリーショップで買い物をした時の包み紙がでてきた。
それはコピー用紙で、ある詩が書いてあるもの。何気に捨てられずずっと持っている。

"i vostri figli"(あなた方の子供)。
簡単な言葉では書いてあるのだけれどかなり難解な内容。Gibran Kahil(ハリール・ジブラン)というレバノン人の詩人の有名な詩。イスラム圏のダンテとも呼ばれる哲学的詩人だそうだ。その詩の訳文はこういったもの。
あなたの子供はあなたのものではない。彼らは命そのもの憧れの息子と娘である。
彼らはあなたと共にあるけれどあなたの所有物ではない。
あなたは彼らに愛情を与えるが、あなたの考えを与えることは出来ない。なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたは彼らの身体を宿すことは出来るが彼らの魂を宿すことはできない。なぜなら彼らの魂は明日の家に住んでおり、あなたはその家を夢にさえおとずれられないから。
あなたは彼らのようになろうとつとめるが、彼らに自分のようにならせようとしてはならない。何故なら、人生はあともどりもしなければ、昨日とともにためらいもしないから。
あなたは弓のようなもの
その弓からあなたの子供たちは生きた矢のように射られ手前にはなたれる。射るものは永遠の道の上に的を見定め、力一杯あなたの身をしならせ、その矢が早く遠く、飛び行くように力を尽くす。
その包み紙の詩はここで終わっているが、実際には、下記の文章が続いている。
射る者の手によって 身をしなわせられるのを喜びなさい。 射る者はとび行く矢を愛するのと同じように じっとしている弓をも愛しているのだから。
私は弓にのって、イタリアくんだりまで飛んできてしまった。笑 亡くなった姑は、はじめの頃は、あと何年だ?!いつ帰ってくる?と夫に聞いたもの。お前たちがもどってきたら、母ちゃん仕事やめるぞ。って。(えっ?!同居の話なんて聞いてないけど・・・と私一人が焦ったが!)私のおばは、早く戻ってきなさい!と言っていたけれど、両親からはいわれたことはないな・・・。どうなろうとも、私が、その場所で一生懸命生きることを望んでいたからだと今だから実感。
それにしても、「生きている矢として 送り出されるための 弓」とは、なんて素敵なたとえだろうか。
どうしても、昨日書いたモンスター・ママのことがひっかかってたまらない。彼女は現在ご主人(子供の父親とは別)と離婚訴訟中。今後、母一人、子一人で生きていくために、お互いがなくてはならない存在で、周囲から汚染、または危険にさらされずに生きていくすべのために、周囲を攻撃し、殻にこもろうとしているのだろうか。世の中って悪いことばかりじゃないでしょ?今の彼女には何をいっても、聞こえてこないのかもしれない。
「人生の希望 そのもののが息子」
とはいえ、「授かりもの」である、わが息子は親のものではなく、大いなるちからの源泉なのかもしれない。
逆をいえば、私達の命そのものも、同じように「人生の希望 そのもののが大いなるものの息子であり、娘」であるということではないではないだろうか。
新たな月を新たな気もちで始めましょう。
さあ、今月は何をしますか?何を考えますか?