人間観察 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。


「貧乏暇なし」とは私のことか。
ちょっとでも時間があると何かをしていないと気がすまない。
開けてもくれてもどこでも編み物。でもそれがないとどうしていいのやらわからない。

何もすることがない時は、周りの人をじっくり観察しては、面白、おかしく想像してしまう。

スーパーの買い物カゴをのぞいては、この人独り身なのかしら?ちゃんと食べているのかな?と。

又いつもいくバールは以前は日に2,3度は通っていた。バールの隣にある会社があり、社員は日に数度バールにやってくる。その人間模様を見ており、あーこの人があの人の上司なんだ、あれっこの二人もしかして不倫してる?なんて気づいてしまうこともある。

子供の学校の送り迎えでは、何年も通っていると、あれっこの夫婦別居したんだ…ありゃりゃお互いに彼氏・彼女ができちゃったぞ。あらまあ、新たに妊娠もしちゃった…などと朝のワイドショーよろしくなぜか新情報に敏感。笑

ある時、長男と近所を歩いていたら、あちこち人に呼び止められては、おしゃべりをしてしまう私を見て、「ママ有名だね。あの人だれ?」ときかれる。あの人はバールのおばちゃんのお嫁さん。あれは義理の兄弟。あれは…誰だっけ?ということもある。三人子供がいれば、誰かしらの絡みがったり、教会関係もあるが、教会は自分の教会と長男のカテキズモの教会は違うので、かなり人間関係が頭の中で整理出来ていない。私が知らないか、意識がなくても向こうは私を知っているということも多い。逆に見られていると思うと気味悪い。観察しているつもりが見られてる…恐ろしい。

これって、他人のことに無関心である反面(私の場合は無防備か?!笑)おかしいほど他人のことを気にして生きている現在の人間の兆候が裏腹に出ているのかもしれない。

人間は、自分が不安定な時、他人を脅威と感じるもの。他人の評価に一喜一憂してしまう。自分を褒めてくれたり、好意を持ってくれる人に近づき安心感を得たくなってしまうこともある。

抱かれてあるとは知らず 愚かにも
われ反抗する 大いなる手に

九条武子さんの歌である。人の目に映る自分ではなく、神のまなざしに映る自分の姿を大切に生きる、そんな生き方をしなくては…人を観察しつつも思い直す日々である。