今日から第61回サンレモ音楽祭が5日間に渡って行われる。
サンレモ音楽祭(Festival della canzone italiana)はイタリア・リグーリア州のサンレモで開催されているポピュラー音楽の音楽祭。55年よりRAI Uno(イタリア放送協会の総合チャネル)でイタリア全土に生中継されている。日替わりで審査員が変わるのだが、一般市民から選ばれるらしく、昨年TVをつけたら、となりのドドのお母さんが審査員で出てるじゃないの!おどろいた~。
第1回(1951年)の出場歌手はわずか3組、応募した20曲を繰り回して歌っていたという小規模のものだったが、徐々に規模も拡大し、53年から参加曲を2組のアーティストが歌う方式となった。
1958年の優勝曲「Nel blu dipinto blu(ヴォラーレ)」が、アメリカでミリオン・セラーを記録し、第1回グラミー賞を受賞したことによって、サンレモ音楽祭は一躍世界的に認められ、その後も「Piove(チャオ・チャオ・バンビーナ)」「Al di la(アル・ディ・ラ)」をはじめ、多くの曲を生んでいる。1また、外国人アーチストのゲストも出場。日本からは伊東ゆかりや岸洋子が参加したという事実もある。
最近では、楽曲のレベルが下がったといわれているが、それでも、世界でも有名となったエロス・ラマゾッティ、ラウラ・パウズィー二、アンドレア・ボチェッリなどは、この音楽祭で新人賞を受賞し、超一流の道を歩み出したのだ。
ところで、今朝久々朝バールに出かけた。
入口に入ると、地域の医者・弁護士グループのテーブルがある。なぜか皆FBつながり、そこでひとまず挨拶。笑
次に通り抜けたのは、次男の同じ公立の小学校のテーブル。そこでちょっと立ち話。ここあいてるわよ!と席を勧められたが、今日は向こうといっしょなのよ、と隣のテーブルを指さすと、「裏切り者!」と笑われる。
今朝は、以前子供たちが行っていた私立校のママ友と合流。最近の家族の状況などを話をしていたら、続々とほかのママたちも合流。何年学校で一緒でも感じがいいんだか、悪いんだか、理解できないあるママが私の隣に座った。彼女の夫は、イタリアでも超有名な音楽プロデュ―サー。彼女の母親は私の住んでいるアパートに住んでいるのだが、きちんとしたシニョーラではあるが、人を褒め倒しするわりに、もろ口先だけ、といった感じで、とても近づき難い母親とその娘。でも今朝は超~感じがよくって私の方が目がきょろきょろしてしまった。話題は今晩からはじまるサンレモ音楽祭のこと。彼女は、だれが参加し、どういう結果になろう・・・という予測は知っているらしい。なんとかという人を投票してね、と言われたけれど、私はイタリアのミュージシャン、しかも若手の歌い手は全く知らない、というか興味ないんだな・・・。
「あなたもサンレモ行くの?」と誰かが質問すると、「気がむけば、今晩から行くかも。でもホテルを出ると、ジャーナリストたちがどっときて、質問攻めになるのよ・・・サインも求められちゃうし。」という。はっ?!チェケットの奥さんだから?彼女はミュージシャンでもダンサーでもなんでもなかったはず。まっちょっと美人ですらっとして、ビオンダ(金髪)だから?『金髪でサングラスかけて、ホテルから出てきたら、有名人に間違えられるかもね~」と誰かが意味深なことをいう。ははは・・・心の中で笑ってしまった!
いまだに、この音楽祭のシステムがよく理解できていないのだが、毎日2組ずつが除外されていき、最後に残った歌手が優勝となるのだと説明してくれた。まあラジオかけて、よく聞く曲で気にいれば、CD(毎年サンレモ出場者のミックスが売り出される)を買うかもしれないが、ここ数年は購入していない。
今年の司会者は本人も歌手である、ジャンニ・モランディとG.クルーニーの恋人?であるエリザべッタ・カナリスとアルゼンチン人のベレン・ロドリゲス。元々アルゼンチンでモデルをしていて、なんとかイタリアの就労VISAを獲得しイタリアのモデルになった。その後、ACミランの選手と交際一躍有名となったが・・・所詮あばずれ女?!おっと失言・・・。(こちらにすごい話が・・・)
http://www.1101.com/francorossi/2008-12-09.html
どうも、私はこういった見栄・欲望・プライド・嫉妬・・・などの固まった世界は苦手だわ。別世界の話ね。
今年参加するアーチスト・リストはこちら
http://www.linksanremo.it/