イタリアでは2分に1人の割合で自殺者が出ているという。83年から約3500人が自殺している。そのうち30%が首つり自殺、そのほか飛び降り、発砲、服毒などがあるようだが、地下鉄が止まるたび、またか・・・と思ってしまう。
ちなみに昨年度、刑務所内では、51人が自殺、123人が未遂に終わったという。
日本に関しては、警察庁のまとめによると2010年の自殺者数は3万1560人。1998年以来13年連続で年間3万人を超えた。イタリアの比ではない。やはり、イタリアは、教会離れが進んでいる昨今とはいえ、まだまだカトリック教徒が多いし、しかもラテン系。こういうことも自殺者数に関係しているのかもしれない
ところで、昨日、ローマで53歳の女性が地下鉄に飛び込み、ラインがストップしてしまったという。それとは、別にショッキングだったのは、なんとミラノのドウモの屋上から飛び降り自殺した若者がいるという。年齢25歳くらいの男性。本人確認となる証明書を保持しておらず身元確認がいまだにできていない状況。
9時半頃に、ドウモ脇から入場、エレベーターで屋上まであがり、15分後くらいに飛び降り自殺を決行したという見通しと新聞にあった。前もって決心してのことだったのか、とっさに思い立って飛び降りてしまったのだろうか・・・
自殺をする人の思いは、想像を絶する。けれど、自分が自殺することによって、周囲の人々がどんなに圧倒的な苦痛を味わうのか・・・これまた想像を絶する。
自殺という問題は、個人的な権利なのだろうか。だとしたら、それはあまりにもエゴイストのような気がしてたまらない。1人の人間は家族や社会の一員なのであって、周囲の人間に対して義務や責任をもっているのだ。
病気で生きたくても生きられない人もいる。私は常に思う。「自分が無意味に過ごした昨日は、一昨日死んでいった誰かが切に生きたいと願った明日」かもしれないのだ、と。
それでもエゴイストだなんて書いた私こそ、もしかしたらエゴイストかもしれない。悩んで、悩んで悩みきった故、どうしようもなく自分の人生に幕を閉じたのかもしれない。それは、それで勇気がいることだったかもしれない。でもやはり、生きることも勇気がいるのだ。死んでしまったら、人生『リセット』はできない。でも「死んだつもりで、リセット」していたら・・・。
人間は誰でも弱いもの。人間弱さの中にも力はある。生きているだけでも価値はあるもの。投げ出さないでほしかった。「人生の目的」は生きることなのだから・・・。
それでも、苦しみの果てに自殺した人々が永遠の救いに到達できるようお祈りします。
http://milano.corriere.it/milano/notizie/cronaca/11_febbraio_8/ragazzo-precipita-duomo-181421620313.shtml
