1月31日、世界で一番長生きしていた、アメリカ人のEunice Sanbornさんが114歳でお亡くなりになられた。
先週、Corriere della Seraにもイタリアの長寿化の特集があったのだが、
(http://archiviostorico.corriere.it/2011/gennaio/25/lunga_vita_degli_italiani_centenari_co_9_110125023.shtml)
この10年で、イタリアの100歳以上の高齢者は3倍に増えたという。2001年には5400人だったのが、今日では16000人。
イタリア人の平均年齢は41.7歳から43歳に延びたという。私は、もう平均年齢を超えてしまった。笑 それでも、もしかすると、寿命のまだ半分もいっていない可能性もある。こりゃまたすごい。どんな人生が待ち受けているのだろう・・・。
出生率は1.4。ちなみに日本の2009年度の出生率は、1.37。2010年度はまだ発表されていないが、多分2009年の数値は超えているだろうという予想。まあイタリアと似たりよったりか。
とはいえ、日本は一人っ子は多いだろうし、兄弟もいて、2人。3人といったら子だくさんといわれるだろうが、イタリアの場合は極端で、私の周りは3人の子持ちなど普通。4人という人もちらほら。住む地域や生活力にもよるのだろう。
ともかく、人間は生まれた時から、常に「死」に向かっていきている。縁起でもない!と思うかもしれないが、これは100%はっきりとしていること。何年後であるのか、それは誰もしらない。
たまたま、現在曽野綾子さんとアルフォンス・デーケン神父との往復書簡を読みだしたのだが、アルフォンス・デーケン神父は、ドイツ生まれのイエズス会司祭であり、上智大学名誉教授。「死生学」の権威といってもいいかもしれない。
いかによく死ぬか?を考えることは、
いかによく生きるか、
いかによく笑う人生でありたいか、
ということになる。
人は、多分、ある一定の年齢になったり、本人や身内に病に倒れる人がでて、はじめて「生きること」「死ぬこと」などを意識するんではないだろうか。
昨年、父が心筋梗塞で一時は危篤状態にあったが、なんとか持ち直した時、病院へ行くと、なんと病棟の本箱にあった「イエス・キリスト」を読んでいて、驚いたことがある。
私も、子宮がんの検査で何度も引っ掛かり精密検査をしているし、イタリアでも緊急オペになったことがある。「私は死んでしまうのだろうか…」漠然に思った。多分それがきっかけで、子供のころから、即ず離れずの状態だったキリスト教にどっと近づいたのは、事実だと思う。
でも現金なもので、元気になってしまうと、その当時に気持ちを忘れてしまう。実際、自分の晩年なんていつやってくるかわからない。
人間にとって
ほんとうに大事なのは、
ほんとうに重みを持つのは、
きっと死に方のほうなんだな。...
死に方に比べたら、
生き方なんてたいしたことじゃ
ないのかもしれない。
とはいえやはり、
人の死に方を決めるのは
人の生き方であるはずだ。
(海辺のカフカ、村上春樹)
私の代母は76歳になったばかりだが、いつも「私はいつお迎えにきても準備ができているから大丈夫ですよ。」という。 まだまだ人に伝えることはありますよ!というのだが、彼女自身としては、自分を最大限に生きているという証拠なのだろう。
結局人生は長さではない。
どう考え、どう生きるか。
私はいつも思うのだが、長くても短くても、金太郎のようなつまった人生を過ごしたいと思う。
Eunice Sanbornさんのご冥福をお祈りします。
http://www.alpha-chiba.com/tusin/tusin18.html