洗礼名 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

ミラノの某地。ある時間帯のトラムに乗ると、絶対に会うおやじがいる。近づいてきては、「Yoko? Kyoko? Keiko?Akiko・・・?」『子』がつく名前を言えば必ず当たると思ってるのか?!鼻がくっつくくらい近づいてきては、「Bacio (キス)しちゃうぞ」とかいってはすっと消える。何もいわず、隣にすわっては、人の顔をじっと見ていられる時もあった。金縛りにあった。きもー!!

せいぜい私のジェネレーションくらいまでは、ほとんどの名前に『子』がついているから、適当にいえば当たりやすい。

逆に最近の子供たちの名前の流行と傾向というのは、ずいぶんと変わったものだ。それはイタリアとて同じ。

今時、自分の子供に、「マリア」とか「ジュセッぺ」なんてつける親は少ない。

ところで、昨日(1月10日)、ヴァチカンにて教皇は21人の新生児に洗礼を授けた。芸能人が自分の子供たちに変わった名前をつけるようになったことも、大きく影響すると思うが、「子どもたちに、キリスト教のカレンダーにない名前をつけないように」と呼びかけた。http://archiviostorico.corriere.it/2011/gennaio/10/appello_del_Papa_sui_nomi_co_8_110110025.shtml

日本だと、音もかねて、子供に願いや思いをこめた漢字を選んだり、画数で選んだり、さまざまだろうけれど、とにかくイタリアの場合、聖人名がほとんど。だからといって、あんな聖人になりたい、なってほしい・・・なんて思いをこめている親がいるとは、今時いないような気がするだけに、何か『特別』な意味を兼ね、聖人名とは別に、色の名前、「ジャーダ」(翡翠)、「ヴィオラ」(紫)なんて名前もあるだろう。「メーラ」(リンゴ)「ぺスケ」(桃の複数形。ペースケだったら、笑えるな・・・)なんて名前もあるそうだ。

カトリックは保守的だ!とはいわれるけれど、やはり祝福された方の名前をとるべきだ、と教皇。

一応、日本の教会では、洗礼名(または霊名と呼ばれる)の決め方はこうだといわれる:

1.聖書のエピソードの人物の中から、自分が特別に関心のある人の名
2.教会の聖人たちの中から(聖人伝の本)、自分の誕生日に近い聖人の名
3.信者の友人の中で、自分と人間性が合う人の霊名をもらう
4.代父母に相談する
5.司祭に相談する

ちなみに、私の名前はハンドルネームのまま「Sofia」。代母に相談し、実名「智子」の意味をとるのがよいのでは?とすすめられた。

ちなみにイタリアでは、よく日本人の個々の名前の持つ意味合いをよく聞かれる。私の場合は常にLa Sapienzaと答えている。上智大学が「ソフィア」と呼ばれるのと同様。『知、知恵』という意味。仏教用語でもこの「智」という字は高次の宗教的叡智の意味にもちいるそうだ。

聖ソフィアは実在する。ローマ・トラヤヌス皇帝の時代(1-2世紀)に娘3人と共に殉教した女性である。

長女の洗礼名は「Speranza」(希望)。聖ソフィアには一緒に殉教した3人の娘がいる。娘達の名はPitis(Fede=信頼)、Elpis(Speranza=希望)、Agape(Carita=慈愛)だったそうだ。彼女は自分でソフィアの娘の一人の名前を選んだ。(泣けるな~)

長男は「Pietro」。イエス・キリストの弟子になりたいから、といって洗礼を望んだ。

次男は「Paolo」...といいたいところだけれど、未洗礼。やはり信仰は本人にゆだねたい。彼が大人になった時、決めればいいと思っている。

私は、実名も洗礼名も気にいっている。ハンドル名で使ってるだけあって、「ソフィアさん」と呼ばれてもごくごく普通。違和感なし。でもさすが、日本で大声で呼ばれると、周りが不思議な顔して人のこと見るのね…「何か?」って感じ。ははは。もちろん、名前負けしないようにしないよう、日々是精進であるが・・・。