キューピー人形
函館の実家にいくつか置いてある人形には
母の手作りの服が着せられている。
不器用で面倒くさがりの私とは正反対に
母は、なんでも手作りしてしまう女性なのだ。
「ねえねえ、おばあちゃん、ここにある人形、もらってもいい?」
末っ子が甘えてみた。
「いいよ。だけど、これだけはダメね。」
母は、古くなって色黒になってしまったキューピー人形を指差した。
そのキューピー人形は
私が小学生の頃、母の誕生日に贈ったもの。
私が思った以上に母はとても喜んで、以来三十数年、
いろいろな服を着せて飾ってくれているのだった。
子供の頃は、母がそれほどに感激して喜んでくれるのに
ちょっと戸惑いを感じたものだった。
だって、そんなに高価な品物ではないし。
でも、今なら わかる。
「大きな人形があったら、この余り生地で服を作って着せられるのに」
そんな普段の何気ない呟きを聞きとめて、忘れないでいてくれたこと。
お小遣いをそのために使ってくれたこと。
そのころ、反抗期だった私の意外な行動だったこと。
何十年も大事にしてくれているということが
こんなにも嬉しい、ということを
教えてくれている母親に、感謝。
同情するなら
テレビでニュースを見ていた末っ子
末っ子 「ねえ、なんで選挙ではお金がほしいの?」
私 「選挙ってお金がかかるらしいよ」
末っ子 「だから、5千円、お願いしますって言ってるんだね」
私 「・・・・ご声援、じゃないかな・・・」
まあ、当たらずとも遠からじ?^^
夢を気にする
毎年この時期になるとテレビに出てくる稲川淳二
霊感が強いのかしら。
でも、この方のお話聞いても
ちっとも怖くない私って・・・。
(早口すぎて、何言ってるのかわからんということもある)
小学生のころ、流行った「こっくりさん」。
やっちゃいけません、なんて言われていたのに
こっそり放課後、教室でやっちゃった。
10円玉がすごいスピードで紙の上を動き
私がもうすぐ死ぬ、という「お告げ」を残した。
そのときはビックリしたけど
まだ、生きてるなぁ^^
息子が赤ん坊だったころ
実家から電話があった。
用事があるときしか電話しない家なのに
母親が、「へんな夢を見て、気になって」 と
珍しい電話だった。
「どんな夢?」
「おばあちゃん(母の実母)が、あんたのとこの子どもを抱っこしてるんだよ」
祖母は、私が20歳のときに亡くなっている。
「何も言わないんだけど、抱っこして、じっと立ってこっちを見てるんだよね」
「ほぉ~~」
「何か変わったことはない?」
実はその日、友達に誘われてプロ野球を観にいくことになっていた。
まだ赤ん坊の息子を連れて行くのには少し抵抗はあったけれど
友達も一緒だし、、と思っていたところに、この電話である。
母親にそう伝えると、迷信の類は信じない彼女が
珍しく 「行くのはやめたほうがいい」 と、反対した。
たかが夢じゃないの、という私に、キツク 「行っちゃいけないよ」 と言い渡して
母親の電話は切れた。
どうしても行きたい試合というわけでもなし
赤ん坊を連れて都内まで、というのも確かに億劫ではあった。
友達には悪いな、と思いつつ断りの電話をして、そのまま家にいることにした。
・・・で、何が起こった、というわけではない。
何事もなかった。
野球の試合で事件や事故が起きたということもないし
電車や交通機関のトラブルもなかったようだった。
だけど、何事もなかった、ということが
大事なのかもしれない、と思うことにした。
先に何が起きるのかわからないのだから。
危なさそうなところに行くわけには、いかない。
護るべきものがあるうちはネ。
国民不在じゃない
衆議院解散。
国民の信を問う選挙が行われる。
郵政解散とは言うけれど、投票する側からいえば
その一点だけで、政治家を選べるわけはなく。
年金や税金、教育、外交、いろいろな面での公約を吟味して
自分に一番考えが近い、代弁してくれそうな政治家を選ぶ。
郵政に関しては、優先順位が低くなるかもしれない。
直接の国民投票ができないのなら
こうして選挙をするしかないのだろうけれど
なんとなく、釈然としない。
解散する、と言ってたのに
その方向にしか持っていけなかったのだろうか。
「クチだけさ」 なんて、甘えた事考えてたんじゃないだろうね。
知恵ないなぁ。
時期尚早なら、その旨の暫定法案とかできなかったのかしら。
選挙は、投票して政治家を送り込む、という発想はやめて
国民のためにならない政治家は 「落とす」 という発想はどうだろう。
この国の政治の舵取りは、国民の手で。
この際、税金ドロボーの氏名は一切書かないことにして。
選挙権を放棄しているものは、政治に参加する権利を放棄している。
まず、投票しないとね。
函館日記 5
実家の目の前にある旧桟橋。
港がまだ整備されてなかった頃、連絡船は岸壁につけることができなかったので
沖に停泊し、乗客は、はしけ船でこの旧桟橋まで来て、上陸したとか。
すぐ隣には、「北海道第一歩の地」の碑があります。
ここから見る函館港の景色が好きで
ふらりと散歩に来ていたものです。
夜は、こんな感じ。
カレシと仲良かったときも、ケンカしたときも、ここで会ってましたな^^
この付近に、彼が怒って投げ捨てたZIPPOのライターが沈んでいるはずです。
夜の函館といえば、やはりこの風景ですね。
「函館山に、ガスがかかってない!行こうよ!」 と子どもたちがせがむので
昼間もさんざん歩いたのに、また坂を上がって
ロープウエーで頂上に上りました。
綺麗です。とっても!
もう何度も見ているのですが
やはり美しいです。
昔は、もっと灯りが青白かったような気がします。
函館の夜景を見るなら、寒くなってからをオススメします。
空気がピン、と凍り付いて
本当に美しいですよ。
函館は綺麗なとこ、いっぱいありますね。
恋人たちの街です。
これで、水族館ができれば
家族連れも楽しめる観光地になるのですけれど・・・
イカ博物館でもいいんだけどな。
どうかしら?
函館日記 4
翌日、良いお天気!気温がグングン上がっていきます。
函館公園に行きたい、という子どもたちと一緒に
電車に乗るとかなりの距離になりますが、
山側を歩いて出かけました。
函館公園には、小さな動物園と、遊戯施設があります。
私が子供の頃、よくここのメリーゴーランドに乗っていました。
北海道には、珍しい竹林。
たぶん、ここが日本の北限かも。
函館公園の近くにある、ジャズ喫茶、 「J.B.HOUSE」
学生時代、お世話になりました。
ここでデートも良くしたし、演劇部の公演のときには
パンフの広告も、快く出していただけて・・・。
マスターが、とっても良い人でした♪
暑い中、歩き続けてちょっとバテバテ。
ロープウエー乗り場の向かい側には、函館市水道局の元町配水所
通称 「みずもと」 があります。
美味しい函館の水は、ここにいったん蓄えられて、西部地区の家々に配水されます。
草地の広場のこの地下に、水が眠ってます。
昔懐かしい形の、ポンプ。冷たくて美味しい水が飲めます。
家のすぐ近くにある喫茶店、 「グリーンゲイブルズ」
赤毛のアンの家の名前をそのままお店の名前にしていますね。
ジュディマリのYUKIが通ったお店ということで
店内の一角に、YUKIのコーナーがあります。
函館日記 3
子どもたちが大好きなソーセージのお店、 「カール・レイモン・ハウス」
カール・レイモン氏は函館でソーセージを作り続けた人。
ここのお店の一階で焼いてくれるソーセージは、ここでしか味わえません。
他のソーセージの販売はしているのですが
このお店限定のソーセージが、美味しいのです。
お店の隣には、実際にカール・レイモン氏が住んでいた家が残されています。
奥の方にちょっと見えるのが、ハリストス正教会。手前が聖ヨハネ教会。
元町には、いろんな教会がありますが
私が子供の頃に通ったのは、カトリック教会の隣の
白百合幼稚園でした。
よく教会で、日曜学校やお祈りの会をしたものです。
洗礼を受けている友達もおりました。
教会の裏手には、「ルルドのマリア」像があります。
どこにあるかは、ナイショ^^
たぶん、ほとんどの観光客は気がつかないと思います。
もう一つ私が知っている「ルルドのマリア」は、トラピスト修道院にあります。
20数年前に、当時のカレシと行ってみたのですが
最近は、敷地内に入れなくなったようで、見られないかも。
函館日記 1
函館に到着したのは夕方。
すでに、函館港祭りのパレードは始まっておりました。
この日は駅前を練り歩き、明日は五稜郭の方を
というふうに、2日に分けてパレードは行われます。
6時間の列車の旅は、さすがに疲れたようで
「今日のパレードは見なくても、いいよ」 と、子どもたち。
実家では、ウニとカニを用意して待っていてくれてました。
美味しいなぁ♪
水割りもうまいなぁ^^
さて、次の日は、なんと雨。
じとじとと降る雨に
「蝦夷梅雨みたいだね」 と、母。
梅雨のない北海道ですが、雨が長く続く季節があって
それを、「えぞ梅雨」 と、呼んでいるようです。
雨は降ったりやんだり。
今日のパレードは中止っぽい。
イカ踊り、今年は踊れそうにないなぁ
じっと家にいるのも退屈なので
小雨になったのを見計らって
実家の近所をお散歩しました。
こういうとき、観光地のど真ん中というのは楽です。
旧茶屋亭。この裏手にホテル「シーボーン」があります。








































