中央政府、政府企業、地方政府、軍人国防に従事する日本の公的機関職員数は、人口1,000人当たり32.5人!?


※(「政府企業職員」には、独立行政法人(特定及び非特定)、国立大学法人、大学共同利用機関法人、特殊法人及び国有林野事業の職員含む)


2007年の日本は諸外国と比べ、人口1,000人当たりの公的機関職員数が少ないというデータを見つけた。

( http://www.soumu.go.jp/gyoukan/kanri/pdf/satei_02_05.pdf )


ただ、このデータ、日本にとってかなり都合よくできていると思われる。数字のマジックが隠れていること、諸外国では2007年集計でないこと、日本は民営化件数が多いと思われること(民営化していなかったら結果がかなり変わっていたのではないか?)


仮に1000人当たり32.5人を小数点以下切り捨て、100人当たり3.2人(つまり3.2%)とすると


人   口:1億2千7百万人

労働人口: 6千3百万人


とすると


この数字のマジック?も100人に3.2人なら妥当なんじゃん?と思っちゃうでしょ?


でもちょっと待って。


総人口に対して3.2%なら4,064,000人(4百6万4千人)なんだけど公的機関の【職員数】だから【現役】ということだよね?


という事は?【労働人口比で3.2%ということは4,233,333人】。あれ増えちゃったね?


この職員数を総人口で割れば、総人口に占める職員数になるよね?すると3.3%。あれ0.1%増えちゃったね?


0.1%でも169,333人違うね。


人口も労働人口も切りのいい数字にしちゃったし、逆に1000人当たりの人数の小数点以下切り捨ててるから、当然プラスもマイナスも誤差は出るんだけど。


日本の政府発表の標準世帯というのは両親と子ども2人の4人家族(核家族)だからこれに照らすと。。


4,233,333人×4人家族=16,933,332(1千7百万人弱)←日本の人口比10%の東京都の人口1,200万人より多い。


総人口の13.3%が公的機関職員本人または家族ということになる。つまり、10人に1人か、まれに2人は公的機関職員の家族ということ。


つまり、税金を原資とした給与で生活している家庭がそれだけあるということ。


民間を参考にしていると言いながら、法外な報酬を搾取している輩も多い公的機関職員。


税金のかなりの部分をこうした公的機関職員家族が生きるために報酬として受け取っていて、社会情勢とは乖離した報酬であるために、社会が不景気だろうが、高景気だろうが無関係に、豪邸に住み、高級車に乗り、余暇を十分に楽しめ、学費も十分に出すことができ、旅行なども特に何を考える事もなくできてしまうような何不自由ない生活をしている、


さらに家族を辿って祖父、祖母、叔父、叔母、孫など近親を含む8人で見た場合には、26.6%(10人に2~3人)が公的機関職員の家族。


竹下登元首相の孫DAIGOなんかもそうだよね。


さらに親族16人で見た場合には53.2%、つまり2人の内1人以上、32人で見た場合には106.4%、誰しも必ず親族の中に1人は公的機関職員がいるということになる。


OB、OGを含めると公的機関職員と無縁という人はほとんどいないのかもしれない。


これ以外に国家資格を必要とする医師や看護師、国家資格を持つものもいる介護士や中小企業診断士、公認会計士(会計士補)、税理士、司法試験を要する職業人については、明確にされていないので含まれるか否かは不明だけど、含まれていないとすれば、この比率はさらに上がる。


さらに主な収入が国や地方自治体の助成で成り立つNGOやNPOも含まれているか否かは不明。


そしてもう一つ忘れてはいけないのが、日本は、国営のかなりの部門を民営化していること。


郵政省が存在した時、郵政省職員数は30年遡っても最大40万人いたといわれている。


このほか、JAL、NTT、NTTドコモ、PHS、KDD、DDI、IDOなどの通信、JR(旧国鉄)、UR住宅整備公団などなど民営化され、リストラなどにより人員は一往に減少したことが予想されるけど、国営だったときはJRやURは特に赤字が多かったわけで余剰人員も相当数抱えていたと思われる。


家族を含めるとこれだけ公的機関職員本人と家族が多いとなると、政治不信などから支持不支持などはあっても公務員や公益法人や官僚、議員などの不正や汚職や立場上逃れているけど犯罪を犯している中、デモなどが起きても不思議ではない状態の中、何も起きないのは、黙認してしまうのは、これも大きな要因だろう。


これだけの比率の本人または人々が、口を噤(つぐ)むとなると・・・。


政治家や官僚はやりたい放題だし、情報操作も楽ちん。


何をしたって国民が行動しないのだから、そりゃ楽でしょ。


経済界も同じ。明確に組織があって命令系統がハッキリしていて、少数のトップから次第に増える下流階層、そして底辺が一番多人数。


8:2の法則から底辺8割の人数で2割の中から報酬を受け取り、2割の少数派が、8割の中から報酬を受け取る。


当然一人当たりの報酬はトップ2割の方が圧倒的に多くなる。


上司より仕事ができようが関係ない、組織でよりトップに近い位置にいるかどうかで報酬は決まる。


終身雇用、年功序列が崩れたといわれ実力主義とか能力主義になったといわれる現代も、この原則を変えずに存続している企業が多い。


だから「上司より仕事ができようが関係ない・・・」といった矛盾も出てくる。


だから、実力に無関係にごまを擂(す)ってでも出世したい、そういう人間は扱いやすいのでトップも側近におきやすいから、矛盾が矛盾を呼び、進む方向がおかしくなるし、ドライな人間が多くなる。


矛盾はこれだけではないけど、トップが白といえば、ホントは黒でも白と考えなくてはならない風潮というのは、この法則を守るために絶対主義とでもいうべき、規律?を作っておかないと不都合、矛盾が出るから。


でも、日本国民は、「もの言えぬ人々」になっているので「その矛盾の中でやっていくこと」が「頑張るということ」だと信じている。


その為に、矛盾が矛盾を生んで自分の首が締まっても我慢してしまう。


こうしたストレスが続くと結局、心が折れてくるので鬱や過労死やストレスによる自殺などを生む。


責任感が強いほど鬱になりやすいなどとよく言われる。


つまり、矛盾の中で責任感を貫こうとすると当然貫けないので苦痛になるということ。


ここで純粋に頑張り屋で責任感や正義感が強い人ほど、つぶれてしまうということだから、


残る人というのは、そうじゃない人、これらに当てはまらない人ということになる。


このストレスがあるはずの中で矛盾を貫き通しても心折れない人は、「発散、息抜きが上手」で「優れた人」だと考えてしまう。


でも、ちょっと待って?


それは違うよね?


「発散、息抜きが上手」だとしても、普段の矛盾を貫いて平気でいられるのは、冷酷、冷徹、無関心、自分が被害に遭わなければいいや、関係ないと思ってしまうひどい人。


でも、そういう人が出世をする。


経営サイドからするとそういう人が側近にいた方が楽だから。


でも、無理して矛盾を貫いているフリをしている人は結局心折れるし、他人事と思ってしまう人は、自分が部下を持った時に板挟みになる、いわゆる中間管理職となる。


矛盾しているのだから、部下から正論で迫られたら答えようがないのだ。


だから、語気を強めて強制しようとしたり、逆ギレしたり、話をそらしたり、ごまかしたりする。


そんな中で生きてたら、心寂れる一方で人間関係もろくなものにならない。


そして職場も社会も地域も隣近所も国も、それを形成する人々の心がさびれていくのだから、まともになるはずがない。


夕べTBSかな?ニュースの1つのコーナーで「もの言えぬ人々」の後編をやっていた(一昨日前篇をやったらしい)


それによると、戦時中、軍政トップではなく、周囲の身近な人々がお互いに非国民がいないかどうか監視していたという。


また、これはそのニュース番組ではないけど、夫婦であってもお互いに告発するケースもざらにあったという。


ただ、この非国民というのは、戦争反対や自国軍事に対して批判的な分子ということなので、至極普通の平和を望む人のことだ。


軍事に屈して善悪の区別もつかず、隣人知人に監視をされる隣人知人を監視する世の中というのは荒んでいる。


当時を生きた人が、当時から見ても当時以外は考えられないその異常な状態が、今の社会に見えるという。


私はその当時を生きていないけど、私もずっとそう思っている。まさに共感した。


自分ごと以外には無気力、無関心、心の渇き、人間関係の希薄さ、こうしたことから生まれる凄惨な犯罪、姑息な犯罪、政治腐敗、お金にまみれた社会、自然に感謝しない、感謝できないどころか、自然を破壊して生活している社会・・・監視カメラで安心してしまう監視許容社会・・・。

◎心の渇き/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10080354613.html
◎人権・生命体権・自然権・生態系権・地球権/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10086860089.html


監視カメラが必要なのではなく、普段からの隣近所の良好な人間関係さえできていれば、互い助け合いの中に悪を見抜く、悪を排除するコミュニティがおのずとできる。


(私も過ごしたことのない)昔の日本は、そういう豊かな人間関係があった。誰も意識することなく、それによって楽しみ、それによって守られていた。


人間関係が希薄だから、監視カメラなどというマシンに頼る。


人間関係が希薄だから、近隣でも地域でも職場でもギスギスしてしまう。


善悪にかかわらず、親族に当事者がいると判断が鈍ることも多い。


人間関係が希薄であることを前提としてモノを言う親族が孫子を育てるとそれが代々伝わってしまう可能性が高い。


より寂れた世の中になる。


この悪循環に早く気づこうよ。


2割の人間が、心寂れると8割の人間も情報操作を含めた圧政により腐敗していく。


2割の人間が、心豊かなら戦争や紛争は起きることはない。


それに気付かないから◎飢える日本人、飢えた先進国の人類/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10091393422.html や◎頭良さそうで頭悪い人類/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10089784803.html になってしまうんだから。


◎気づきと感謝と思いやり/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10072166798.html がお互いにあれば、良好な人間関係を育むことができる。


いい事が広がるのは大歓迎。でも悪事や人の心が荒んでしまう傾向が広がるのは、阻止しなければならない。


だからこそ、気づかない人に気づかせるためにも、明るい未来を形成する為にも、明らかにおかしいと思うことは、それは違うと言える勇気が必要なんだから。◎NOと言える日本人/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10091433846.html