平成8年に母が大腸がんで手術をしま
した。

開腹してみたら、癌が大腸の外に出て
いて、完全に除去できませんでした。


母には癌だとは言えず隠しました。

平成9年の6月、転移が進行し入院する
ことになりました。


私が仕事で看病できないので、妻が
長男(当時2歳)と九州の彼女の実家
に移住して看病してくれました。


長女(当時6歳)の面倒を見るため、
妻の両親に神奈川まで来てもらいま
した。


9月7日にいよいよ危ないと連絡が
あったので、車で義父母と娘をつれて
急行しました。


東名秦野から福岡の門司港まで、1度
給油と食事で止まりましたが、休み
はそれだけで、1000キロを11時間で
走り、朝4時ごろに病院に着きました。


ナースステーションのモニタで母の
心電図を見ると、三角波になっていま
した。


でも人間って、そんなに簡単には死な
ないんですよ。


それで妻だけ病院に残して、みんなを
妻の実家に連れていき、私はシャワー
を浴びていた時に、死にましたと連絡
が入りました。


ここまで来ていて、死に目に会えない
のは、親不孝をしてきた罰です。


長男が1歳の冬、1995年だったと思い
ますが、小金井でタコ部屋に入って、
ザウルスのデータバックアップソフト
を開発していました。


12月24日に仕事も一段落し、ようやく
休みが取れるところまで来たので、タ
コ部屋は返却し、帰宅しました。


その日は家族でクリスマスイブを祝い
翌朝6時、久しぶりに犬(柴犬のメス)
を連れて散歩に出かけました。


近所の山を駆け巡り、農家の畑に迷い
こみました。


犬を連れているし、早く外に出なけれ
ばと、ベニヤ板で作った道路のような
ところを歩き、残り10mほどで壁の
外の道路に出ようとしたときです。


突然、犬が消えました。


あれっと思う間もなく私も1mほどの
深さの牛の肥溜めに落ちていました。


10m四方のプールで、犬は喜んで泳
いでいます。


何とか胸のところまでつかりながらも
這い出して、犬も引き上げました。


このままでは糞尿まみれで、公道は歩
けそうにないので、農家に頼んで水道
を借り、私と犬を洗いました。


たぶん気温は摂氏4度程だったと思い
ます。


寒いし、気持ち悪いし、何でこんなこ
とにと思いながら、やっと帰宅しました。


ところが、家に入れてくれません。


今考えると当然ですが、私は裸にされ
て、とりあえずシャワーです。


ようやく落ち着いたところで、妻が、
「宝くじ買いに行こう」といいます。


運がついてるから、という理由ですが
反対する理由もなく、早速初夢宝くじ
1万円分を購入しました。


嘘みたいですが、宝くじは10万円当
たりましょた。


組違い16組だと1等6千万円だった

のに106組でした。


妻は、「あの時、一口飲んでれば1等
だったかもね。」、だと。


私のパートナーと唯一の従業員との間
に立って、もめ事を収めようとして彼と
ぎくしゃくするようになり、最後はコンビ

解消で、彼のほうが出ていきました。


これからバブルが崩壊し、えらいこと
になるわけです。


定期的に入っていた仕事はなくなるは
社員はやめるは、たへんです。


私は結婚6年目で2人目の子供ができ
たばかりで、3件の仕事を掛け持ちし
ました。


朝9時に海浜塩浜の後、文京区小石川
に行き、最後は小金井の会社に行き、
一日が終わるのが午前2時です。


車(ローバーミニ)で東名を走ってい
ると、とても起きていられません。


歌を唄ったり、大声を出したり、最後は
走りながらマスターベーションです。


それでも寝てしまい、トラックにクラクシ

ョンで起こされることもありました。


あそこで死ななかったから今があるの
でしょうねえ。